館長だより 第97号
館長だより 第97号

安本作品 あれこれ(9)

2017/05/14

   ☆ 『東アジアの古代文化』掲載論文

 大和書房が発行する季刊誌に『東アジアの古代文化』がある。

 梓書院の『季刊邪馬台国』と古代史専門雑誌の双璧といえる。

 1974(S49)年10月に創刊され、残念なことに、2009年(平成21年)1月をもって終刊となっている。

 全137号と、いくつかの増刊号がある。

 そのうち、我が「邪馬台国図書館」に126冊が所蔵されている。

 この『東アジアの古代文化』に安本美典氏の論文・対談などが掲載されている。

 日がな一日、手当たり次第に安本作品を探してみた。

 一番初めが、9号(1976.7.15)にある。

 「「邪馬壹国」か「邪馬臺国」か――白崎昭一郎氏と古田武彦氏の論争を読んで――」である。

 論争とは、白崎氏が「二つの九州王朝説」(5号)で論じる古田説批判とそれに対する古田氏の「九州王朝の論理性」(6号)による反論をいう。

 安本氏が「白崎 VS 古田」について書いたのこの論考が、ゆくゆく「安本 VS 古田」の大論争へとつながっていく。

 その詳細は後日に譲る。


 『東アジアの古代文化』に掲載の安本作品の一覧を第一作も含めて以下に記す。改行して副題も載せる。

 1976.7.15 9号 「邪馬壹国」か「邪馬臺国」か
            ――白崎昭一郎氏と古田武彦氏の論争を読んで――

 1979.7.25 20号 「魏晋朝短里説」は成立しない
            ――古田武彦氏に答える――

 1980.4.30 23号 歴史における「科学」とはなにか
            ――出牛昭氏の批判に答える――

 1980.10.20 25号 「邪馬壹国」論への反証
            ――古田武彦氏に答える――

 1981.7.31 28号 古代史研究における非科学的状況
            ――出牛昭氏に反論する――

 1983.1.31 34号 中国人学者が見た邪馬台国
            ――論争は国境を越えて――

 1984.1.31 38号 誤りにみちた批判に答える
            ――坂田隆氏は数理統計学を理解されているか――

 1987.1.31 50号 継続は力なり

 1987.12.31 別冊 邪馬台国の東遷

 1989.7.31 60号 吉野ヶ里は「倭人伝」記載の「国」の一つ
            ――「弥奴国」でなくて「華奴蘇奴国」とする理由――

 1990.4.30 63号 「奴国の滅亡」を論ず
            ――古田武彦氏の欺瞞と罵倒に答える――

 1990.10.31 65号 『日本書紀』のなかの朝鮮語
            ――万葉時代に日本語と朝鮮語とは異なっていた――

 1991.1.31 66号 邪馬台(壱)国をめぐって (討論)安本美典・古田武彦、司会:大和岩雄

 1991.1.31 66号 編集部への抗議
            ――「場外乱闘はこれからだ」――

 1999.8.30 100号 「長大」の意味


 蔵書の範囲では、15篇の安本作品が掲載されている。

 その内訳をみると、他者の論文への感想や批判、自身論文への批判に対する反論が8篇もある。

 相手を批判し、攻撃する内容が掲載文の半数以上を占める。

 それに、 因縁対決の安本 VS 古田の討論記録が66号にある。

 これだけを見ると、安本氏は激しい性格の人のように思える。

 しかし、安本氏の講演を聞くと、攻撃的な印象は全く受けない。おだやかな論調である。

 だが、、売られたケンカは買うタイプらしい。だまって聞き流すことはしないみたいである。

 安本氏が40〜50才台の濃密な脂がのった血気盛んな?ころのはなしである。

 他は、小文もふくめて論考が5篇と、50号記念へのエッセイが1篇ある。

 これらを通して読むと、安本氏の研究の焦点が、その時々どの辺にあるかよくわかって、興味深い。


  挿図:『東アジアの古代文化 66号』の表紙。安本・古田の対談が掲載されている。


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