昨年、邪馬台国の会の講演会で河村哲夫氏にお会いした。その時に、私の運営する邪馬台国図書館の話をして、河村氏に自著の寄贈をお願いした。
河村哲夫『神功皇后の謎を解く』(2013・原書房)である。
即、寄贈の約束をいただいた。うれしい。
河村氏は福岡県に住んでいらっしゃるので、つぎにお会いした時に頂けることになった。
それが、やっと叶えられた。待った分だけうれしさがひとしおである。
著作本の帯に趣旨が説明されている。≪記紀はもちろん、各地の伝承から地名の由来にいたるまで、史料に真摯に向き合い、
伝承の地を実際にくまなく歩きとおすことで見えてきた、神功皇后の真の姿――。
渾身の古代史フィールドワーク! 幻の女神を追う≫戦後の学界における古代史研究では、神功皇后非実在説が主流である。
それに疑問を持った河村氏は、古代史の分野においても特定の先入観・イデオロギーを前提にせず、
客観的で検証可能な立論をすべきであると考える。『古事記』、『日本書紀』、逸文を含めた『風土記』を文献の基礎に置く。
それらを補完する江戸時代の『筑前国続風土記』、大正時代の『飛廉起風』、「裂田溝」の発掘調査結果などを参考にする。
各地の市町村史、地域伝承、社伝にある神功皇后の事跡を手がかりにする。
河村氏はこれらを基に、山に登り、川沿いの道を歩き、船で島々へ渡る。
孤高の探索を重ね、点を線に変え、伝承を歴史へと検証する。
副題にある≪伝承地探訪録≫まさに渾身の古代史フィールドワークである。
穴門の豊浦宮から香椎宮、朝倉、山門、呼子、糸島、壱岐、対馬などを巡る。
朝鮮に渡り、帰路は宇美、英彦山、行橋、宇佐、宗像などを行幸し、豊浦宮に帰還する。
机上ではわからない、古代のかおり、息遣いが伝わってくる。
歴史は現場で起こっている。その過程がみえてくる。
これは、河村氏が足で確認した神功皇后の行動ルートである。
河村氏はいう。
≪神功皇后のたどったルートに沿って歩いて行けば、そこには時空を超えた風景が広がるであろう。
そこには、神功皇后が見たであろう古代の姿が見えてくるはずである。≫氏は、またこうも言う。
≪邪馬台国の女王卑弥呼の時代からいえば、わずか一世紀半ほど後のことである。
現代と違い、ゆっくりと時間が流れていた時代である。
地形も風土も生活習慣も、大きく変化したとは思えない。
神功皇后のことを書きながら、すりガラスのむこうに、
おぼろげに卑弥呼の時代が見えるような感じがした。≫最後のつぶやきが、河村氏の本当のねらいであると、私は確信した。
挿図上:河村哲夫『神功皇后の謎を解く』(2013・原書房)の表紙挿図下:北部九州における神功皇后の足跡(上記本より)
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