国分寺境内の木陰で思い思いのお弁当を食べ、つぎの目的地、上総国分尼寺に進む。国分尼寺の展示館の前で館長と職員の方に出迎えていただいた。恐縮である。
館内で、時代背景と国分寺全体についての映画を見せていただき、ジオラマによる解説を受ける。
解説が終わると、正面のくもりガラスが透明になり、復元された回廊が忽然と目の前にあらわれる。
おぉぉ…!!参加者から思わず声がもれる。
こころにくい趣向である。
国分尼寺の全面発掘は他に例がないそうで、調査で見つかった貴重な発掘品の説明を聞く。
仏像の頭髪である螺髪(らほつ)一つで安置されていた如来仏の大きさが一丈六尺(約4.85m)とわかるとは驚きである。
跡地には中門、回廊、金堂の基壇が天平そのままの姿で復元されている。
時空を越え、奈良・天平の世界に紛れこんだようである。
ここで、記念写真を撮る。
時間が少し押してきたので、つぎへ急ぐ。
稲荷台1号墳は、「王賜」銘鉄剣で有名である。
古墳が調査されたときは、象嵌による銘文の存在がわからず、古墳は破壊されてしまった。残念。
鉄剣は約73cm、銘文は表「王賜・・敬(安)」、裏「此廷(刀)・・・」と解読されている。
読みは「王、賜う・・敬(つつ)んで安(やす)んぜよ」、「この廷刀(ていとう)は・・・」となる。
称号の王は、大王(おおきみ)よりも古いと考えられる。
東大寺山古墳の「中平(2C後半)」銘鉄刀や石上神宮の七支刀の「泰和?」(4C)などの渡来品を除くと、国産で銘文のある鉄剣ではこの鉄剣が最古ということになる。
「ワカタケル大王」銘の鉄剣が出土した埼玉の稲荷山古墳出土の須恵器はTK-47型式である。
千葉の稲荷台1号墳の周溝から出土した須恵器は2型式ほど古いTK-208型式という。
須恵器からも日本最古は、支持されている。
古墳は直径30mに満たない小円墳である。
こんなにも小さな古墳に、どうして王が授けた鉄剣が副葬されているのだろう。不思議だ。
つぎの見学地は、この王賜銘鉄剣(レプリカ)が展示されている市原市埋蔵文化財調査センターである。
センターでは市内の遺跡を実際に発掘している小橋さんが資料を用意して待っていてくれた。
小橋さんは、我々が一番関心がある古墳出現期の神門古墳の前で話をしてくれた。
5号墳、4号墳、3号墳からの出土品がそれぞれまとめて展示されている。
5号墳の遺物のなかに確かに小形丸底土器がある。これは布留式土器ではないだろうか。
布留式ならば、なんで、5墳を庄内式併行というのだろう。
4号墳、3号墳の展示品には手焙形土器がある。
これは古墳時代前期の遺物では、ないかなあ……。
私の個人的な興味で小銅鐸が気になる。
普通の銅鐸とは異なり、いつまでも巨大化せず、各地から出土する。
千葉県からは8個も出土している。
なぞの多い存在である。
小橋さんは、参加者からの質問に丁寧に答えてくれている。
ときには、私見をこっそり教えてくれる。
出発の時間がきたので、質問の途中ではあったが、みなさんにはバスに乗ってもらう。
名残は尽きないが、上総国・市原を後にした。
(了)
写真 7:上総国分尼の復元された中門と回廊寺(館長撮影)写真 8:上総国分寺のジオラマ模型(ネット「奈良 まほろばソムリエの会」より)
写真 9:稲荷台1号墳記念広場の1/3の復元古墳(館長撮影)
写真 10:稲荷台1号墳出土の「王賜」銘鉄剣の錆落とし後の象嵌「此」「廷」の部分(ネット「市原市埋蔵文化財調査センター」より)
写真 11:神門5号墳出土の小形丸底土器・市原市埋蔵文化財調査センター展示(館長撮影)
写真 12:神門4号墳出土の手焙形土器・市原市埋蔵文化財調査センター展示(館長撮影)
写真 13:市原市埋蔵文化財調査センターで解説中の小橋さん(館長撮影)
写真 14:市原市埋蔵文化財調査センターのパンフレット(一部改変)
写真 15:市原市天神台遺跡出土の小銅鐸(ネット「市原市埋蔵文化財調査センター」より)
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