先日、邪馬台国の会が主催する「上総国 古代遺跡めぐり」日帰りバスツアーに行ってきた。その日は、朝からいい天気。気温も真夏日の30度をを超えそうな勢い。
熱中症に気をつけなければならないほどである。
向学心にもえる男女34人があふれる期待とこもる熱気の参加である。
案内役をおおせつかった私は、ふくれる不安とふるえる心臓に緊張である。
東京駅前の集合場所を出発した大型バスは一路、最初の見学地、市原市の姉崎二子塚古墳へ向かう。
千葉県市原市は房総半島のほぼ中央にあり、古代の上総国の政治・文化の中心地である。
国府があり、国分寺があり、国分尼寺がある、いまでいえば、県庁所在地みたいなものである。
姉崎二子塚古墳は、姉崎古墳群を代表する前方後円墳のひとつである。
全長114m、後円部の高さ9.5mを測る。
古墳は発掘調査が行なわれ、その後復元整備がなされている。
その墳丘にのぼると周囲がかなり遠くまで見渡せる。絶景である。
古代人は、その偉大さに畏れ慄いたことだろう。
二子塚古墳には、前方部と後円部に一つづつ埋葬施設があり、鏡、玉類、鉄刀が出土している。
ほかに前方部から見つかった滑石製の石枕と銀製の垂飾付耳飾が目を引く。
直弧文が施されている石枕は周囲に小穴があり、そこに立花が立てられている特異な形式である。
立花とは二つの勾玉を軸に背中合わせにつけた形の飾りである。
この地に特異な形式を常総型石枕という。
その分布から、上海上(かみつうなかみ)国に勢力のある一族が姉崎古墳群の被葬者と考える研究者がいる。
石枕の分布から歴史の姿がみえてくる。これは愉しい。
耳飾は、中間部にある空球中間飾と兵庫鎖で構成されているので、類例はないが大伽耶系の耳飾をいえる。
通常、半島系の文物は畿内を経て太平洋沿岸の海上交通で東国のにもたらされている。
しかし、この大伽耶系の耳飾は、太平洋沿岸からの出土はない。
その分布を調べると若狭、長野、群馬にある。
上総の豪族は、ヤマト王権下とは別のルートで文物を手に入れていたのかもしれない。
文献に記されていない、考古学資料から見える歴史の姿がここにもある。痛快である。
二子塚古墳は三段築成で埴輪列があったことがわかっている。
これになぞらえて、参加者に古墳の縁にずらりとならんでもらって、記念写真を撮りたいと思っていた。
ところが、古墳は整備はされていても、数本の木があり、人が並んでも木が邪魔をして見えない。
面白いアイディアとひとりで思っていたが、叶わぬ夢に終わって、二子塚古墳を後にした。
晴天はうれしいが、気温がだいぶ上がってきた。先を急ごう。
(つづく)
写真 上:姉崎二子塚古墳・左側が前方部(館長撮影)写真 中:滑石製石枕・姉崎二子塚古墳出土(ネット「市原市埋蔵文化財調査センター・電脳展示室」より)
写真 下:銀製垂飾付耳飾・姉崎二子塚古墳出土(ネット「市原市埋蔵文化財調査センター・電脳展示室」より)
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