館長だより 第63号
館長だより 第63号

館長の見聞録(31)

2014/11/09

   ☆ 山陰古代史の旅(その11)

 雨は止まない。

 最期の目的地、青谷上寺地遺跡展示館へむかう。

   (29) 青谷上寺地遺跡展示館(鳥取県鳥取市)

 青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡は、弥生時代前期後半から古墳時代前期初頭にかけて存在した集落遺跡である。

 遺跡からは「地下の弥生博物館」とも呼ばれているほど遺物が質・量とも豊富に出土し、国史跡に指定されている。

 出土遺物の展示場としては、青谷上寺地遺跡展示館と鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室の2ヵ所がある。

 訪れた時は、調査室が休みだったので、展示館のみの見学となった。

 遺跡全体は入り海に面した三角州の高まりにあると推定されているが、発掘調査は周辺部の低湿地部分である。

 そのため、通常は朽ちて残らないような木製品が大量に出土している。その数は約1万点である。

 農具では、直柄平鍬、曲柄平鍬、直柄又鍬、曲柄又鍬、直柄横鍬、一木鋤、屈折鋤、田下駄、横槌、杵、臼などがある。

 はじめて見たものに、木庖丁がある。

 これは穂摘具で、石庖丁とよばれているものと道具としては同じである。

 もちろん、石庖丁も出土している。

 木庖丁は、ここでのみで使われていたものなのであろうか。

 あるいは、他所でも使われていたが他所では条件が悪く、腐って残らなかったのであろうか。

 ほかに、刃と柄がすべて木で作られている鎌もめずらしい。

 漁撈具には網枠、浮子、ヤスなどがあり、船の破片や櫂も多く出土している。

 建築部材では、矢板、柱材、床板、垂木材、梯子、壁板、窓枠状木製品、礎版などがある。

 船団を線刻したスギ板もある。

 これは以前、横浜市歴史博物館の企画展で見ているものである。(第5号参照)

 木製の盾、木製の高杯、木製の形代(かたしろ)、箱型の琴、舟形木製品などもある。

 量の多さにも、種類の多様さにもおどろかされる。

 ここに住んでいた人たちが、いかに木を有効に利用していたかがよくわかる。

 卜骨の多さにもおどろく。

 説明が県教育委員会のパンフレットにある。

 ≪まとまって出土した卜骨
  当時の人々は、イノシシやシカの肩甲骨を焼き、ひびの入り方で吉凶を占いました。
  青谷上寺地遺跡からは250点を超える卜骨が出土しています。
  使い終わった卜骨は2枚1組みでまとめ置かれており、
  こうした作法は朝鮮半島南部の勒島(ヌクト)遺跡と共通するものです。≫

 神沢勇一氏が1987年にまとめた「日本の卜骨」では34遺跡、155点の出土が報告されている。

 本遺跡だけで全国の出土総数を超える国内最多である。

 荒神谷遺跡では、やはり一遺跡で今までの総出土数を超える銅剣が見つかっている。

 山陰地方の遺跡にはおどろかされることが多い。

 特筆すべき遺物に弥生人の脳がある。

 当時の山陰中央新報(2001.4.17)に詳しい報道がある。(要約)

 ≪弥生時代後期後半(約千八百年前)の頭がい骨三点から脳の一部が確認、日本最古の出土例である。
  二体分は壮年の男性と女性で、男性は脳全体の1/5、女性は1/4が残っていると推定。
  壮年男性の脳の残存重量は約230g、壮年女性の脳は約300gを量る。
  他の一体の壮年男性分は残存量が少なく、細片化している。
  鑑定した井上貴央・鳥取大学医学部教授(解剖学)は語る。
  「気温の低い季節に死亡し、粘土質の土や水(湿地)の中に急速に埋没したため酸欠状態となり、
  腐敗を免れたのではないか。何とかDNAを抽出したい。」≫

 後日の新聞報道によれば、DNAの抽出には成功しなかったようである。

 人骨では、バラバラに遺棄されたような状態で100体分以上の骨がみつかっている。

 なかには銅の鏃が打ち込まれた人骨盤や鋭い刃物で切りつけられた胸椎、殺傷痕のある頭蓋骨もある。

 激しい戦闘が想像される。

 私の個人的な興味では、貨泉、土笛、分銅形土製品に目がいく。

 貨泉は「新」(西暦8年〜23年)時代に発行された銅銭である。

 当時、日本は貨幣経済ではないが、日本の遺跡から時々出土している。

 ここからは4枚も見つかっている。

 貨泉の存在をどう理解したらいいのか、一筋縄ではいかないところがおもしろい。

 これからも貨泉の出土例を追いかけていきたいと思っている。

 土笛は中国では陶ケン(土編に員)と呼ばれ、中国江南が起源という。

 日本では福岡県北東部から京都府北部の丹後半島にかけて約100点出土していて、その半数は島根県から出ている。

 そのかたよった出土に興味がわく。

 分銅形土製品は弥生時代の祭祀に使われたといわれているが、はっきりした用途は不明である。

 いままでに720点あまり見つかっているが、全体の8割以上が岡山県を中心に瀬戸内海、山陰から出土している。

 この遺物も特異な分布をみせている。

 遺跡全体は、周囲を矢板列を幾重にも打ち込んで固定されている溝がめぐらされている集落であり、低地には水田遺構も確認されている。

 ただし、調査地区は道路建設の部分だけで、遺跡全体を学術的に調査したものではない。

 調査部分は埋め戻され、ゆくゆく遺跡公園として整備されるらしい。

 これだけ多種多量の貴重な遺物が揃っているのだから、資料館には遺物を並べるだけではなく、青谷地区や山陰の歴史を語る展示を期待したい。

 そのときには、もう一度訪ねたいものである。

 これで山陰古代史の旅は終わる。

 鳥取空港から羽田へ戻る。雨はまだ止まない。   (了)


  写真 35:青谷上寺地遺跡の現在の様子(「国史跡 青谷上寺地遺跡」2012・鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室 より)

  写真 36:青谷上寺地遺跡展示館の展示場(「国史跡 青谷上寺地遺跡」2012・鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室 より)

  写真 37:鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室(「国史跡 青谷上寺地遺跡」2012・鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室 より)

  写真 38:石庖丁形木庖丁(「青谷上寺地遺跡の木製農工具・漁撈具」2013・鳥取県埋蔵文化財 より)

  写真 39:平行四辺形木庖丁(「青谷上寺地遺跡の木製農工具・漁撈具」2013・鳥取県埋蔵文化財 より)

  写真 40:木鎌(「青谷上寺地遺跡の木製農工具・漁撈具」2013・鳥取県埋蔵文化財 より)

  写真 41:卜骨集積遺構(「国史跡 青谷上寺地遺跡」2012・鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室 より)

  写真 42:卜骨(「国史跡 青谷上寺地遺跡」2012・鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室 より)

  写真 43:頭蓋骨と脳(館長撮影)

  写真 44:弥生人男性の脳(「国史跡 青谷上寺地遺跡」2012・鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室 より)

  写真 45:貨泉(館長撮影)

  写真 46:土笛(館長撮影)

  写真 47:分銅形土製品(館長撮影)


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