館長だより 第61号
館長だより 第61号

館長の見聞録(30)

2014/10/12

   ☆ 山陰古代史の旅(その10)

 翌日、米子から山陰本線で倉吉へ向かう。

 山陰古代史研究会主催の「古代史(邪馬台国)サミットin高千穂」に参加のためである。

 日本民族のルーツに迫る、最新の古代史論争  古代日本の中心は、果たして「九州」か?「畿内」か?「山陰」か?

 と、パンフレットに書かれている。

 講師陣は高島忠平氏(九州説)、岸本直文氏(畿内説)、田中文也氏(山陰説)である。

 魏志倭人伝にある国々を地図に記入していくと、邪馬台国は九州と考えたほうが合理的と高島氏。

 纏向石塚古墳はヤマト国王墓であり、卑弥呼の墓の可能性もあると岸本氏。

 天津神を祀る神社は山陰地方の山地に偏在している。高天原はひるぜん高原と田中氏。

 三講師によるパネルディスカッションでは、質問の応酬で議論白熱?

 夜は懇親会にも参加し、講師の先生、山陰古代史研究会の方々とも意見交換をした。

 一日、古代史三昧の楽しい時間をすごした。

 翌日は田中氏による案内で博物館や神社などの見学である。


   (26) 湯梨浜町羽合歴史民俗資料館(鳥取県松江市)

 この資料館は長瀬高浜遺跡の出土品を保存・展示するために作られた建物である。

 遺跡からは弥生時代〜奈良時代の住居跡や中世の墓が見つかり、古墳でない場所から大量に出土した埴輪群が有名である。

 弥生時代前期の玉作り工房跡4棟や箱式石棺62基、木棺墓24基、土器棺墓4基などが見つかっている。

 展示場には埴輪が多くあり、なるほどと思わせる。

 遺跡の写真に巨大な柱穴?のある住居址が写っている。これはなんだろう?

 隅にいる発掘をしている人と比較すれば穴の大きさがわかる。

 高い建築物でもあったのだろうか。

 目を引くものに、カメ棺がある。

 少々小ぶりなので、子供用かもしれない。

 カメ棺は北九州が有名であるが、山陰にあるとは驚きである。

 私の好きな小銅鐸もある。

 高さ 8.8cm、重さ 約140gと説明がある。

 山陰の資料館はいろいろなものがあってとても楽しい。


   (27) 茅部神社(岡山県真庭市)

 山陰古代史研究会の方の車に乗せて頂いて、鳥取県から岡山県へと雨降る山中をひた走る。

 目的地に近づくと、茅部神社の参道にそびえる高さ13mを誇る巨大な石の鳥居が現れる。

 紅葉に染まる1キロほどの桜並木を進み、茅部神社の入口の鳥居に着く。

 鳥居をくぐり、神門を通ると拝殿に至る。

 ここにも太いしめ縄がある。

 茅部神社のご祭神は天照大神である。

 こんなところに(失礼)、国譲りをせまった張本人をなぜ祀るのだろう。

 境内神社の荒魂神社の祭神は素戔鳴尊である。

 大国主命とともに山陰の英雄である神を祀っているのは納得である。

 茅部神社は、古くは天磐座(あまのいわくら)と呼ばれていたらしい。

 「縁起」の写しに、いわれが記されている。

 ≪美作国真島郡茅部里の本居磐座社者、天照大御神の鎮座ます故に天上の儀ひを象て天の磐座と奉称也。
  是則伊勢大神宮と同じ大神宮に御座ます故に神代の古風に随神事を行ひ且内外の斎詞を唱ふこと是共証也。≫

 神社のある西茅部郷原は、「高天原」の地と信じられてきたと石碑文にある。

 それで、この地に天照大神祀られている理由がわかった。

 ここが高天原といわれる場所は全国にいくつかある。

 宮崎県高千穂町、奈良県御所市、熊本県山都町などである。

 岡山県の蒜山もそのひとつという。

 茅部神社の裏山の奥には、真名井の滝と呼ばれる滝があり、天の岩戸もある。

 今日は生憎の雨、すべる山道を往復に一時間以上もかかる見学は叶わなかった。

 天の岩戸は大きな岩からなり、穴状の空間がある。  その入口にしめ縄が架けられ、内部は二畳ほどの広さがあるらしい。

 参加者はみな残念であったが、案内をしてくれている山陰古代史研究会の田中文也氏もとても残念そうだった。

 田中氏の山陰説は地元の伝承に支えられているところもあると知り、再度、著書を読み直してみようと思う。


   (28) 蒜山郷土博物館(岡山県真庭市)

 ここの博物館では四ツ塚古墳群に関する資料を中心に展示している。

 四ツ塚古墳群は古墳時代後期(6世紀中ごろ)の大小19基の古墳群であるが、現存は16基。

 名前の由来は、なかでも大きい円墳4基が一列に並んでいたことによるという。

 発掘調査で、1号墳は径24mで北に開口した片袖式の横穴式石室と確認されている。

 石室の天井や壁面には朱が塗られ、底部に石や木炭を敷き、水抜きの設備がつくられている。

 副葬品は玉類、鉄製品、須恵器類など100点以上が見つかったが、これら出土品は東京国立博物館に持って行かれたという。

 いつ頃の話か知らないが、出土品は本来あった場所で管理するのがいいと思う。

 第1展示室には、13号墳の木棺直葬の主体部が実物大の復元模型で、副葬品と共に展示されている。

 13号墳からは鶏や家の形をした埴輪(はにわ)、馬具が数多く出土している。

 これらは、ここの蒜山郷土博物館で保管・展示されている。

 第2展示室は蒜山の自然と文化である。

 雄大な蒜山三座のパノラマ写真がある。

 田中氏はいう。三座とは蒜山の三つの山を指し、中央にある中蒜山の手前の山のここが高天原です。

 思わず、写真を写した。(写真中央の赤↓)

 博物館のある敷地内には移築された水別古墳があり、復元された竪穴住居もある。

 水別古墳は石組みの石室が中に入って見られる。

 博物館に隣接して四ツ塚史跡公園がある。

 ここには1号墳から6号墳まで整備保存されている。

 最大の3号墳で、径32m、高4mの規模である。

 残念ながら、史跡公園までは行けなかった。


  写真 20:「古代史(邪馬台国)サミット in 高千穂」のパンフレット

  写真 21:羽合歴史民俗資料館展示の長瀬高浜遺跡の写真

  写真 22:羽合歴史民俗資料館展示の長瀬高浜遺跡出土のカメ棺(館長撮影)

  写真 23:羽合歴史民俗資料館展示の長瀬高浜遺跡出土の青銅製品(館長撮影)

  写真 24:茅部神社の鳥居と神門(館長撮影)

  写真 25:茅部神社の拝殿(館長撮影)

  写真 26:茅部神社に建てられている「高天原」伝説の石碑(館長撮影)

  写真 27:茅部神社内にある素戔鳴尊を祀る荒魂神社(ネット「Punkt und Linie−神社仏閣巡りと旅の風景−」より)

  写真 28:茅部神社裏山奥にある真名井の滝(ブログ「星と太陽の会」より)

  写真 29:茅部神社裏山奥にある天の岩屋(ネット「Punkt und Linie−神社仏閣巡りと旅の風景−」より)

  写真 30:茅部神社裏山奥にある天の岩屋の内部からの写真(ブログ「星と太陽の会」より)

  写真 31:蒜山郷土博物館展示の13号墳の木棺直葬の主体部が実物大の復元模型(館長撮影)

  写真 32:蒜山郷土博物館・ふれあい広場の水別古墳の石室内部(館長撮影)

  写真 33:蒜山郷土博物館・ふれあい広場の復元竪穴住居(館長撮影)

  写真 34:蒜山郷土博物館展示の蒜山三座の写真


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