館長だより 第47号
館長だより 第47号

館長の見聞録(23)

2014/02/16

   ☆ 山陰古代史の旅(その5)

   (14) 熊野大社(島根県松江市)

 熊野大社は、八重垣神社から車で南へ約20分ほどの位置にある。

 本来、大社とは出雲大社を意味するが、有力な神社は大社を称することがある。

 春日大社、日吉大社などである。

 熊野大社は、出雲大社とともに出雲の国の一之宮であり、それほど古くから尊ばれている神社ということである。

 祭神は、伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)である。

 この神名は素戔嗚尊の別名であるといわれている。

 素戔嗚尊は高天原を追放された神ではあるが、出雲では絶大なる尊崇を受けている。

 本殿は大社造りで、内部は出雲大社と同様に田の字型の4つの部分に分かれているという。

 拝殿に飾られているしめ縄も、出雲大社ほどではないにしても、やはり大きい。

 二礼二拍手一礼で、お参りをしてきた。

 熊野大社は、火の発祥の神社として日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)ともよばれている。

 境内には火起こし道具の燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきね)を収める鑚火殿(さんかでん)がある。

 燧臼とは約1m×12p×3pの檜の板で、燧杵は長さ80p、直径2pの卯木の木の丸い棒である。

 燧臼に燧杵を立てて両手で錐揉み式に回転をさせて、火をおこす。

 毎年10月15日に、出雲大社の宮司が古伝新嘗祭に使用するこの燧臼と燧杵を熊野大社に借りにくる鑚火祭がある。

 興味深いのは、鑚火祭の初めに行なわれる亀太夫神事である。

 この神事は、熊野大社の社人の亀太夫が、出雲大社の宮司の持参した神餅のできばえにケチをつけ、宮司が弁解するというものである。

 写真63は、亀太夫神事のようすである。

 左が熊野大社の亀太夫、右が出雲大社の宮司、中央の白布の箱が神餅である。

 亀太夫のいやがらせに逆らえない宮司を思うと、熊野大社のほうが出雲大社より格が上なのであろうか?

 出雲大社の宮司が代わるときも、熊野大社にて火継(ひつぎ)の式で神聖な火をもらわないと新宮司にはなれないという。

 両大社の関係はおもしろい。

   (15) 八雲立つ風土記の丘 展示学習館(島根県松江市)

 風土記の丘は、1966年に文化庁の肝いりではじめられた遺跡や史跡等を中心とする野外博物館・公園である。

 2010年時点で、さきたま風土記の丘をはじめ全国に17ケ所設けられている。

 八雲立つ風土記の丘は、全国で6番目の風土記の丘として1972(S47)年に開設されている。

 館のある一帯は、奈良時代に編さんされた「出雲国風土記」のくにびき神話を起源とする意宇郡の中心にあたる地域である。

 展示学習館には、出雲中央部の意宇(おう)平野(風土記の丘地域)の奈良時代のようすが1/1000の模型で再現されている。

 古代出雲国府の政庁、古代山陰道、出雲国分寺、山代郷北新造院などが見える。

 展示品には、周辺の遺跡から出土した貴重な遺物がある。

 岡田山1号墳出土の額田部臣銘文入り大刀、平所遺跡埴輪窯跡出土の鹿形埴輪(見返りの鹿)。

 ともに重要文化財である。

 ほかに、熊野大社蔵の銅鐸、寺底1号墳出土の斜縁神獣鏡、向山古墳の子持壺、  岡田山1号墳の金銅製馬具類、渋山池古墳の陶棺など豊富な出土品が展示されている。

 常設展示とは別に、企画展「山城の世紀」が開催されていた。

 島根県にある発掘された中世の山城がテーマである。

 中世の矢じり、軒瓦、具足など出土遺物のほかに、絵図、古文書も展示されている。

 古代の展示とは多少異なり、普段目にしない遺物や展示が見られておもしろかった。

 見学を終えて、出口に行くとロビー横に模造の把頭飾付有柄細形銅剣(鉄製)と七支刀があった。

 自由に持てるようになっている。でもなぜここに、こんな剣があるのだろう。

 理由はわからないが、剣を構えて写真を撮った。ちょっと、うれしい。

 外へでると青空がひろがり、とても気持ちがいい。

   (16)  岡田山1号墳(島根県松江市)

 公園内の一画には、出雲国庁跡で発見された古墳時代中期の復元住居跡や東光台古墳の箱式石棺が野外展示されている。

 地内北辺には額田部臣銘文入り大刀の出土した岡田山1号墳も整備されて保存されている。

 岡田山古墳群は、北側の1号墳と南側の2号墳および5基の小規模な古墳からなる。

 岡田山1号墳は、古墳時代後期に造られた二段築成の前方後方墳である。

 全長は21.5mで、斜面には葺き石が施されている。

 後方部には円筒埴輪、子持壺が並べられている。

 後方部中央に全長5.6mの両袖式の横穴式石室がある。

 現場では、石室の中へは入れなかったが、入口の石組みの様子はよくわかった。

 大正時代と1970(S45)年に発掘調査が行なわれ、多くの副葬品が見つかっている。

 玄室には小型の組合式家形石棺があり、棺内に鉄鏃や刀子が副葬されている。

 棺外の頭部側から並べられた4本の装飾付大刀と内行花文鏡1面が、左側から金銅製の馬具一式や耳環などが発見された。

 大刀の一つの刀身から、「額田部臣」と読める銀象嵌の銘文が見つかっている。

 この額田部臣は、額田部と呼ばれた部民のリーダーを意味する。

 大刀の銘文は、部民とそのリーダーの実在を示す最古の資料ということになる。

 ちなみに、推古天皇の諱(いみな・生前の実名)は、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)である。

 八雲立つ風土記の丘は、整備されており、展示学習館の展示品もとても興味深く、私は堪能した。

 しかし、他に見学者がほとんどいない。

 これだけの施設があるのに、もっとみんなに活用して欲しいものである。

 とても、残念である。


  写真 59:熊野大社 参道入口の鳥居(館長撮影)

  写真 60:熊野大社 本殿(館長撮影)

  写真 61:熊野大社 鑚火殿(館長撮影)

  写真 62:鑚火殿前の説明板(館長撮影)

  写真 63:鑚火祭のはじめに行われる亀太夫神事(ネット「鑚火祭−熊野大社」より)

  写真 64:八雲立つ風土記の丘の入口にある石碑(館長撮影)

  写真 65:奈良時代の意宇平野の模型(ネット「八雲立つ風土記の丘 常設展示」より)

  写真 66:見返りの鹿(平所遺跡埴輪窯跡出土・重要文化財)(『八雲立つ風土記の丘 常設展示図録』より)

  写真 67:陶棺(渋山池古墳出土)(ネット「八雲立つ風土記の丘 常設展示」より)

  写真 68:企画展 山城の世紀 のポスター

  写真 69:八雲立つ風土記の丘公園内の復元住居跡(出雲国庁跡で遺構発見・古墳時代中期)(館長撮影)

  写真 70:岡田山1号墳(後方部(左)に石室の入口が見える)(館長撮影)

  写真 71:岡田山1号墳の石室入口(館長撮影)

  写真 72:額田部臣銘文入り大刀(岡田山1号墳出土・古墳時代後期)(ネット「八雲立つ風土記の丘 常設展示」より)

  写真 73:額田部臣銘文入り大刀の銘文部分の拡大(各田卩臣の銀象嵌文字が見える)(『八雲立つ風土記の丘 常設展示図録』より)

  写真 74:岡田山1号墳出土の副葬品(鉄鏃・大刀・馬具一式などすべて重要文化財)(同上)


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