館長だより 第48号
館長だより 第48号

館長の見聞録(24)

2014/03/03

   ☆ 山陰古代史の旅(その6)

 八雲立つ風土記の丘が造られている場所は、風土記の時代では出雲国の意宇郡である。

 この周辺には出雲国府をはじめ古代の遺跡があちこちにある。

 レンタカーの強みでそれらのいくつかを巡る。


   (17) 出雲国府跡(島根県松江市)

 国府とは奈良時代初めに全国60余国に国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市をいう。

 律令制下で、各地を治めるための地方行政の中心地域を意味する。

 国府の施設には、国庁、官衙、国司館などがある。

 出雲国府は、茶臼山(神名樋野 かんなびぬ)の麓から意宇川までの平地にいろいろな施設が造られている。

 1968(S43)年から行なわれた発掘調査は、断続的に行なわれ現在に至っている。

 役人達が実務的な作業を行なう後方官衙(曹司)、国司が儀式を行なう政庁後殿、国司の宿舎となる国司館などが発見されている。

 遺物には円面硯、木簡、漆紙文書、銅印、和同開珎、分銅、坩堝、羽口などがある。

 木簡に書かれた「大原評」の評(こおり)の文字より出雲国庁は、701(大宝元)年以前に溯って建造されたと考えられている。

 国府跡は、1971(S46)年には国指定遺跡になっている。

 現在は、史跡公園として整備され、説明板とともに建物や柵の柱、大溝などが復元されている。

 間近に神の籠もる山をながめ、頭上に真っ青な天がつき抜け、地に柱列が並ぶ。

 往時の建物は見えぬが、広々としたなかに残る大溝や柱の数の多さにその規模の大きさを思う。


   (18) 真名井神社(島根県松江市)

 出雲国府跡から茶臼山へ向かって突き当たったところに真名井神社がある。

 天真名井(あまのまない)は神々がお使いになる尊い水のことで、天孫降臨の神話に基づく名称である。

 この神社も記紀の神代にでてくる神々をお祀りしているかもしれないと思い、車をとめた。

 道脇に鳥居があり、茶臼山中腹へ石段が上っている。

 そこで鳥居周辺に説明板を探したがなかった。

 上に登ればなにかあるかもしれないが、風土記の丘でかなり時間を費やしていたので下から写真を撮っただけで先へ急ぐことにした。

 後日ネットで調べたら、主祭神は伊弉諾神で、他に天津彦根命も祀られているとわかった。

 天津彦根命は天照大神と素戔男尊の誓約(うけい)で生れた男神のうちの一柱である。

 また、天津彦根命は多くの氏族の祖神とされており、『古事記』によれば、額田部湯坐連もそのひとつという。

 この地の岡田山1号墳から、「額田部臣」銘の大刀が見つかったことも関係があるかも知れない。

 真名井神社は式内社で、本殿は大社造(1662(寛文2)年に再建)である。

 1974(S49)年に、県指定有形文化財に指定という。

 やはり、労をいとわずに石段を登り、参拝をしてくるべきだった。

 ひらめきは、よかったが詰めが甘い。残念。


   (19) 出雲国分寺跡(島根県松江市)

 真名井神社の前の道を1.5kmほど東へいったところに出雲国分寺跡がある。

 駐車場の前に、説明板と史跡出雲国分寺跡と刻まれた石柱がある。

 説明文によると、発掘調査によって一辺約150mの寺域の中に南門、中門、回廊、金堂、塔、講堂、僧坊などの建物が確認されているという。

 伽藍は南から南門、中門、金堂、講堂、僧房が一直線になるよう配置されている「東大寺式」という。

 これらの建物跡がほぼ完全な形で確認されたのは、全国的にも珍しい例である。

 現在は、広い広場に40〜50cmほどの石を積んでつくられた回廊をめぐる溝や金堂の石段、礎石などが見られるだけである。

 壮麗な金堂や塔が復元されていることを期待すると裏切られる。

 雑草生い茂るただの広場である。

 整備され、保存されていることはすばらしいことであるが、ちょっとがっかり。

 以前、上総の国分尼寺を訪ねたことがあるが、あそこはすばらしかった。

 もうすこし、活用の手立てがないものだろうか、ちょっとさみしい。


   (20) 山代郷の遺跡(島根県松江市)

 八雲立つ風土記の丘周辺で訪ねたのは以上であるが、道すがら車中から眺めたものがニ、三ある。

 ・山代郷正倉跡

   正倉とは奈良時代、租・正税として納められる穀物などを収納する倉庫のことである。

   発掘調査で一帯から掘立柱建物跡や多量の炭化米が出土している。

   現在は建物の位置や規模がわかるように木柱の下部が立てられている。

 ・山代郷北新造院跡

   北新造院とは、出雲国に建てられた10カ所の新造院(寺院)のひとつである。

   金堂跡の左右に塔跡が確認され、講堂らしき跡も一部見つかっている。

   鬼瓦、鴟尾、石製九輪、銅製風鐸などが出土している。

   現在は山の傾斜地に礎石や石の基壇などを復元して伽藍の様子がわかるように整備されている。

 ・山代二子塚古墳

   山代二子塚古墳は全長94mの前方後方墳で、島根県最大の古墳である。

   墳丘の周囲には堀がめぐり、堀の外側には外堤が確認されている。

   出雲地域東部の大首長(出雲国造?)が葬られている墓と想像される。

   古墳に隣接してガイダンス山代の郷があり、古墳築造の様子がわかる土層や石棺式石室の実物大模型が見られる。


 もう一度、この地を訪れることができるならば、どれももっと時間をかけじっくりと見学したい遺跡ばかりである。


  写真 75:出雲国府跡より望む茶臼山の遠景(館長撮影)

  写真 76:出雲国府跡の説明板(館長撮影)

  写真 77:出雲国府跡の現状(館長撮影)

  写真 78:真名井神社の石碑(館長撮影)

  写真 79:真名井神社の本殿へ続く石段(館長撮影)

  写真 80:真名井神社の拝殿(右)と本殿(左奥)(ネット「ウィキペディア 真名井神社」より)

  写真 81:出雲国分寺跡の説明板(館長撮影)

  写真 82:出雲国分寺の金堂跡(館長撮影)

  写真 83:史跡出雲国分寺跡の石柱(館長撮影)

  写真 84:発掘された山代郷正倉の柱穴(リーフレット「山代郷正倉跡」より)

  写真 85:発掘された山代郷北新造院の金堂跡(リーフレット「山代郷北新造院跡」より)

  写真 86:発掘まえ?の山代二子塚古墳(リーフレット「山代二子塚古墳」より)


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