山陰古代史の旅、第2日目である。今日の予定は盛り沢山である。 早起きをして、朝靄のなかを佐太神社へ向う。
(12) 佐太神社(島根県松江市)
佐太(さだ)神社は島根半島のほぼ中央、宍道湖の北約4kmの地にある。
三笠山の崖を背に、前を佐陀川が流れている。
本殿は北殿、正中殿、南殿が三つ横にならび、すべて大社造りである。
これを三殿並立の大社造りという。壮観の一語の尽きる。
正中殿を軸に南北両殿を対称に配した姿はみごとである。
創建は養老元年(717)という。
現在の社殿は文化4年(1807)の造営であるが、古くからその様式を踏襲して建てられている。
昭和57年(1982)に、国の有形文化財に指定されている
朝靄のなかに現れる本殿は厳かで、幻想的ですらある。
主祭神は、佐太大神(猿田毘古大神)で、出雲の四大神の1柱として古来より崇められている。
猿田毘古大神は、日本海に面した松江市の加賀の潜戸(かかのくけど)の誕生で、導きの神という。
他の祭神には、北殿に天照大神、瓊瓊杵尊、
正中殿に伊弉諾尊、伊弉冉尊、
南殿に素盞嗚尊などが祀られている。そうそうたる貴神が祀られている。
この日も朝早くから、信徒の一団が社殿で祝詞を唱え、勤行をしている。
私も深く二拝二拍手一拝をして参拝をした。
神社で11月に行なわれる祭りに、八百万の神が集う神在祭(じんざいさい)がある。
神在祭は出雲大社が有名であるが、梅原猛は佐太神社が本家かもしれないと言っている。
佐太神社はそれだけ、由緒ある神社ということであろう。
(13) 八重垣神社(島根県松江市)
八重垣神社のメインは、宝物殿にある社殿の壁画である。
神社に着いたとき、ちょうど団体を乗せた観光バスが着いた。
バスガイドが鳥居のところで説明をしているあいだに、先に宝物殿に行く。
宝物殿のなかに見学者はだれもいない。貸し切り状態で壁画の独り占めである。
壁画はもともとは本殿の羽目板に描かれていたものであるが、劣化がひどくなったので保存のため解体し、移したのである。
板絵は3面に、6神像が描かれている。
中央に主祭神の素盞嗚尊と稲田姫命(いなたひめのみこと)(=櫛稲田姫命 くしなだひめのみこと)。
右に天照大神と宗像三女神のうちの市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)。
左に櫛稲田姫命の両親の脚摩乳命(あしなづちのみこと)、手摩乳命(てなづちのみこと)が描かれている。
絵は剥落が激しいが、思わず見入るほどの美しさである。
特に稲田姫命は秀逸である。
神社建築史上類例のない貴重な壁画と推賞され、国の重要文化財の指定も納得である。
壁画の製作年代には諸説ある。
社伝では寛平5年(893年)、平安時代の宮廷画家だった巨勢金岡(こせの かなおか)によって描かれたとされたとある。
画面の様式から16 世紀、室町から桃山にかけてという説、
後世の手が加えられているが絵の最初は平安後期にまで遡る説、
本殿内陣付近の板壁材が、13世紀代の伐採樹木と確認されてので、壁画も同時代説、などがある。壁画を充分堪能して、観光バスの一団と入れ替わり本殿に向かう。
本殿では、良縁を願っているのだろうか若い女性が熱心に参拝していた。
神社が建てられた場所は、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治したあとで、稲田姫命と夫婦生活をはじめた所という。
縁結びにはもってこいの場所である。
神社裏手、奥の院の佐久佐女森の中には稲田姫命が 自身の姿を映したという鏡の池がある。
この池は縁結びの占いの池ともいわれ、硬貨をのせた占いの紙の沈み具合で良縁を占う。
この日も多くの女性が良縁を願い占っていた。
良縁にめぐり合いますように!
この他に、神社境内には資生堂の玉椿会の名前に使われた連理玉椿(夫婦椿)や夫婦杉など縁結び、夫婦和合の縁起物がある。
至れり尽くせりの熱心さには、頭が下がる。
世の商売人もこれ以上努力しなければ、勝ち組には入れない。
神社めぐりは歴史のこと以上に社会勉強になるなぁ!?
写真 54:正面からの佐太神社本殿(右から北殿、正中殿、南殿)(館長撮影)写真 55:南側からの佐太神社本殿(手前から南殿、正中殿、北殿)(館長撮影)
写真 56:八重垣神社の壁画の全景(ネット「新井直樹のホームページ」より)
写真 a:壁画の手摩乳命(ネット「新井直樹のホームページ」より)
写真 b:壁画の素盞嗚尊(ネット「八重垣神社」より)
写真 c:壁画の稲田姫命(ネット「八重垣神社」より)
写真 d:壁画の天照大神(ネット「新井直樹のホームページ・吉備・出雲旅行」より)
写真 e:壁画の市杵嶋姫命(ネット「新井直樹のホームページ・吉備・出雲旅行」より)
写真 57:正面からの八重垣神社本殿(館長撮影)
写真 58:八重垣神社の鏡の池での占い(館長撮影)
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