館長だより 第42号
館長だより 第42号

安本作品 あれこれ(4)

2013/11/03

   ☆ 『母と子 魂の歌』

 「邪馬台国の会」のホームページにある「安本先生著作一覧」のなかに他とは異なる題名の本がある。

 『母と子 魂の歌』(2003・リヨン社)である。

 安本先生の著作には間違いないが、どうも、古代史とは関係なさそうである。

 とりあえず、アマゾンで取り寄せてみる。


 本の「はじめに」を読むと、本の趣旨が書かれている。

 安本先生のお母さんは若い頃から折々に短歌を詠まれている。

 それらの歌は、地方紙の『中国民報』(現『山陽新聞』)に若山牧水の選で掲載されたという。

 ある日、その歌を見た先生が、心に響くなにかを感じた。

 いま先生は、過去に埋もれている母の歌をすくいあげ、歌人としての母を再び世に登場させたいと願った、とある。

 先生のお母さんの名前は比佐代(ひさよ)さん、この本が出版されたとき、96歳である。

 カバーの内側に先生の思いが書かれている。

 ≪細い蜘蛛の糸に託す奇跡
  この本は、細い細い、一本の蜘蛛の糸である。
  その蜘蛛の糸は、悲しみと闘いの泥沼から、天上の理想にむかって懸かっている。
  その蜘蛛の糸に、可能性を賭けてみようと思う。
  いまや私たち母子の記憶にのみ残された母の歌のたとえ一つでもが、
  読者のあなたの心に響くところがあれば、小さな奇跡が、一つずつ起きていることになる。
  その奇跡を、一本の蜘蛛の糸に託している。≫


 比佐代さんは、岡山県の草深いいなかで生れた。
 ≪若い日の母は、上の学校へ進むことを灼けるような思いで願っていた。
  しかし、その希望は、家庭事情のために、かなわなかった。≫

 ≪母の娘時代は、「縫う」ことのなかに閉ざされている。
  当時は、みな和服であった。和服は、家でぬって作ったものである。
  家族が多いと、特に冬物などは、縫いかえに、大きな労力を必要とする。≫

    籠(こも)らいて ものを縫いつつ 我ながら
       おとなしと思う 少女(おとめ)となりぬ

    集いきて よき柄などと 人はいう
       努めて縫える やるせなき日に

    縫いつかれ 縫いあきなおも この業(わざ)の
       ほかにえ知らず 今日も縫い暮る

 縫うことに明け暮れた比佐代さんは、22歳ころに結婚をし、母となる。

 そして、かなわなかった自身の向学の夢を息子に託す。

 すべてをがまんしても、いかなる犠牲をはらっても果たすべき悲願と心に思う。

 ≪父と母は、私を(京都の)大学に進ませた。
  父の死後、(私が)母を川崎市にひきとるまで、四十年以上、母はひとりで、田舎にくらした。
  母は、強い意志と、努力と、思いやりとで、私に後顧の憂いを感じさせなかったのだと、思いいたった。
  (母は)渾身の力をふるって、さびしさに耐えていたのだ。
  私は母のさびしさに思いいたっていなかった。≫

    子の電話 受けし夜ながく 眠り得ず
       交わせし会話の あとぞなぞりつつ

    すぐそこに 対(むか)える子とも 思いつつ
       受話器を置けば 独り坐す部屋

     (対える子とも=対面して話をしている息子と)

    うべなえど 心しぼみつ 子の帰省
       忙(せわ)しき故に 止めとし聞けば

     (うべなえど=なっとくはしたけれども)

    みずからの 道ひたむきに 追う子はも
       明日はや発(た)つとう 今日帰り来て

     (追う子はも=追う子であるなあ、 発つとう=発つという)

    独り居の 心細さも 味わいき
       眼(まなこ)昏(く)らみて うつ伏せる間を

 母の愛は、無条件で、そして無制限である。

 ≪いま、母の家は、私の家のすぐ近くにある。
  ともに、多摩丘陵の一角にたてられた団地ずまいである。
  まわりに、緑と花と、起伏とが多い。けやき並木がつづく。≫

 ≪母と私とは、早寝早起きである。私の妻と子とは、遅寝遅起きである。
  そこで、母を川崎に引きとってからは、私の朝食を、母に作ってもらうことにした。
  朝食後、母と散歩に行く。
  朝早く犬をつれて散歩している人たちとしばしばすれ違う。≫

    散歩路に 出逢う人みな 犬連れて
       子は老い呆けし われを伴う

 ≪そこで、私(安本先生)も一首書いた。≫

    母とわれと どちらがイヌか 朝ごとに
       餌をもらイヌ われはイヌ歳

 もう一首、先生の歌。

    わが母の 心づくしの 朝食の
       味噌汁の湯気 しあわせの味

 今年、先生のお母さんは数えの108歳をむかえられた。

 人は、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、百寿(100歳)と歳を呼ぶが、それ以上の呼び方はあまり聞かない。

 いまは長寿の方が増えられて、108歳を茶寿というらしい。

 茶を分解すると十、十、八十、八となり、足すと108になる。

 その上に、珍寿(110歳)、皇寿(111歳)、大還暦(120歳)があるらしい。

 先生のお母さんには、大還暦をめざして、いつまでもお元気で喜びの歌をたくさん詠んでもらいたいものである。

    独り居の 心底(うら)にまといし 不安感
       なべて失せいつ 子に倚(よ)れるとき


  写真上:『母と子 魂の歌』(2003・リヨン社)の表紙

  写真中:安本比佐代さんの写真(『母と子 魂の歌』より)

  写真下:安本先生とお母さん・散歩の途中(『母と子 魂の歌』より)


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