今城塚古墳のことを調べたくて、当館の蔵書を検索した。森田克行 著『よみがえる大王墓 今城塚古墳』(シリーズ「遺跡を学ぶ 77」)(2011・新泉社)があった。
今城塚古墳は、考古学研究者によって継体天皇陵と比定されている古墳である。
この今城塚古墳を飾る埴輪に鵜飼の考古資料をみつけた。
今回、この考古資料に追加をする。
今城塚古墳は大王墓にふさわしく、内堤の張出に多種多量の埴輪が装飾されている。
埴輪群は一区〜三区にわかれ、殯宮儀礼のようすが表現されている。
そのなかの一区にある家形埴輪の軒先に鵜飼と思われる絵がヘラ描きで描かれている。(写真6)
本の図版には詳しい説明がある。
〈(家形埴輪の)妻側の軒先に4コマを割付け、各コマに左向きの魚を1尾ずつ配置し、
左端のコマでは水鳥を付加している。
4コマの読み解きは、右から左に向って泳ぐ1尾の魚を1羽の鵜がついばむという
ストーリーととらえ、放ち鵜飼の情景とみなした。〉ヘラ描きの絵を見るとちょっとわかりにくい。
絵を逆さにすると、なるほどと思う。
家形埴輪にも説明がある。(写真7)
〈台部の上に入母屋の屋根をもつ円柱吹き抜けの祭殿を表現し、
軒先に鵜と魚をヘラ描きする。祭祀場一区に配置。〉
赤丸が、鵜飼の絵(写真6)の箇所である。
今城塚古墳の築造年代は、六世紀前半とされている。
古墳の内濠埋土の上層部から須恵器(TK10型式古相)が見つかっていることが、根拠になっている。
この絵から、紐つきの鵜飼とは、異なる放ち鵜飼が6世紀前半に畿内で見られたということになる。
前回、鵜飼の埴輪が出土した群馬県・八幡塚古墳も今回の大阪府・今城塚古墳も埴輪祭祀場の様子が復原展示されている。八幡塚古墳では、七区に分け、儀式や財物を表わす原寸大の形象埴輪50体以上も配置されている。
今城塚古墳では、形象埴輪が189点にもおよび壮観の一語に尽きるという。(写真8)
鵜飼をはなれても、ぜひ、見たいものである。
写真6:鵜が魚をつばむ場面のヘラ描き図(『よみがえる大王墓 今城塚古墳』2011・新泉社より)
写真7:鵜飼図のある家形埴輪(『よみがえる大王墓 今城塚古墳』2011・新泉社より)
写真8:今城塚の古墳公園に再現された埴輪群(『よみがえる大王墓 今城塚古墳』2011・新泉社より))
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