館長だより 第50号
館長だより 第50号

安本作品 あれこれ(5)

2014/03/30

   ☆ 安本美典の『源氏物語』研究   ―『数理歴史学』と『文章心理学の新領域』―

 推理作家・藤本泉の著作に『源氏物語』に関するものがある。

 『源氏物語の謎』(1980・祥伝社)、『源氏物語99の謎』(1984・徳間文庫)、『王朝才女の謎』(1986・徳間文庫)などである。

 彼女はこれらの著作の中で、『源氏物語』は紫式部一人の手によって著された作品ではなく、作者複数説を主張している。

 文芸評論家の中島河太郎は、『源氏物語の謎』のカバー裏に惹句を書いている。

 ≪千年も前の大河小説『源氏物語』が、ただ一人の女性によって書かれたとすれば、世界文学史上の奇跡である。
  著者は二十年来の味読の結果、この作品の矛盾・撞着を完膚なきまでに、剔出した。(中略)
  そして多数作家の手によっていつしかできた非合理なおもしろさこそ『源氏物語』をささえる柱だと主張する。≫

 藤本の著作を読んだときに、私は安本先生の『数理歴史学』(1970・筑摩書房)を思い出した。

 西欧では文学や歴史書の古典作品の数理統計学による分析が行なわれ、
 字句や文節、用法の特徴など洗い出し、著作者や時代の特定に成果を上げていると本にある。

 安本先生はいう。

 ≪シェークスピアは架空の人物で、F・ベーコンなどが、本名をかくして、(略)書いたという説がある。(略)
  W・フリードマンは、用語の頻度の統計をとり、筆者による文章のクセを数量的に明らかにするという
  数理文献学の方法によって、この問題(「シェークスピアは実在かどうか」)にいどんだ。(略)
  フリードマンたち(夫妻)は、シェークスピアは実在の人物で、
  作品は、F・ベーコンらの手になるものではないという結論をだしている。≫

 まさに『源氏物語』の作者の検証は、安本先生の分野にピッタリのテーマと私には思えた。

 そこで、藤本本を送って、『源氏物語』の作者探しをお願いしようと思った。

 それは、私が「邪馬台国の会」に出入するはるか前の話である。

 一面識もないどこのだれともわからない男の申し出を受けてくれるだろうか?

 ダメもとで送るか、失礼を思い断念するか、私は逡巡をした。

 結局、無為に時ばかりが過ぎた。

 ある時、私は知人にこの無謀な思いを話した。

 知人が言う。”たしか、安本美典はそんな本を出したと、どこかに書いてあったよ。”

 驚いて、私は『数理歴史学』を読み返した。

 なんと、そこにはちゃんと書かれている。

 ≪なお、私も1959年に、『源氏物語』の宇治十帖をとりあげ、それが、他の四十四帖とおなじく、
  紫式部の手になるといえるかどうかという問題を、文章の推計学的な分析の結果から考えてみたことがある。
  (誠信書房刊『文章心理学の新領域』)≫

 藤本本を読む前だったので、作者複数説を知らない私の記憶に残らなかったようである。

 よく確かめもせずに、バカなことをしないでよかった。

 さっそく、ネットで本を探して、購入した。

 私の手元にある『文章心理学の新領域』は東京創元社・1960年発行の本である。

 誠信書房刊本は1966年発行で、東京創元社版の改訂版らしい。(未見)

 本の目次には、第U章に源氏物語、宇治十帖の作者―文体統計による筆者推定、とある。

 そして、文の長短、和歌の使用度、用語の使用度など12項目にわたる検証がある。

 ≪以上、すべての調査の結果から、宇治十帖と四十四帖との、文体のちがいは、
  執筆時期、題材、執筆態度、などによる変動以上のものであると、判断しても、よいであろう。
  したがって、わたしの調べた範囲内の結論としては、宇治十帖と四十四帖とは、
  異なる作家によって、書かれたものであるという仮説を、うけいれたい。
  これは、もちろん、宇治十帖の作者が、他の四十四帖の作者と、ぜったいに異なっているなどと、いうのではない。(略)
  どちらが妥当かといえば、むしろ、「異なる作家が書いた」と考えるほうが、自然なのではないか、というだけである。≫

 これでやっと長年のつかえがとれた。

 それにしても、安本先生の守備範囲の広いことにはおどろかされる。


  (後日談)

 『日本語の起原を探る』のなかで、安本先生は大野晋氏のタミル語の研究に言及している。

 ≪タミル語と日本語との特別な関係は、現在しられているどのような計量的方法によっても、検出できない。
  大野氏のいう日本語とタミル語との「鮮明な対応」「濃密な関係」などは、客観的方法にうったえるとき、雲散霧消するといえる。≫

 後日、『光る源氏の物語 上』(1989・中央公論社)を読んでいて、その大野氏が丸谷才一氏との対談なかで、安本先生の研究を紹介していることを知った。

 ≪(「宇治十帖」をめぐって)私は最近までは少なくとも(作者は)複数ではないかと思っていました。
  というのは、「宇治十帖」は、読んだ印象がどうも違うんですね。
  言葉づかいがなんとなく違うと感じていたんです。
  実際、文章を分析した人も大勢います。
  たとえば安本美典氏の『文章心理学入門』を拝見すると、統計的な方法を使って文章の長さとかをいろいろ比べておられる。
  そうすると、それ以前の巻々と「宇治十帖」とは文章の長さその他が違う。
  「宇治十帖」にくると、文章が長くなるんですね。
  それから歌をどれだけ混ぜて使っているかということを調べると、初めのほうが多くて、だんだん減っていくんです。
  今日で言う文体の上で、「宇治十帖」とそれ以前とは文章が違うということがあるんです。≫

 日本語の起原の研究と源氏物語の作者の研究は別のことだからということであろうか、
 安本研究を無視することなく紹介しているのはすばらしい。

 大野氏は、その後、『光る源氏の物語 下』(1989・中央公論社)でも、「宇治十帖」に言及している。

 ≪実は、私は「宇治十帖」をだれが書いたかということについて、文章の上からいって長く疑ってきました。(略)
  ところが、私はこの「手習」(の巻)を読みかえすに至って、
  やはりこれは紫式部の作品であるに違いないと確信するようになりました。(略)
  『紫式部日記』を読んでみると、このとき紫式部は、旦那に死なれた後、
  関係を持った道長から突き放されるという事態にあったんですね。(略)
  そしてこの頃、彼女は『源氏物語』の後半を書いているんですね。(略)
  自分は死んだ旦那に対する愛情のなかで生きるべきで、道長との関係を幸いだと思ったのは間違いだったのだ、
  と考えつめることによって、彼女はその追い込まれた状況から抜け出たんじゃないか。
  そう思って読むと「手習」で、浮舟は匂宮とのことをなんで幸いだと思ったのだろう、あれは間違いだったんだ、
  もう薫に合す顔がないといっています。
  これは『紫式部日記』と正確に照応してきます。
  こうした照応のあることに気付いて、ぼくは、ようやくのことで「宇治十帖」は
  紫式部が書いたらしいなと思うに至ったんです。≫

 なあ〜んだ。


  写真1:『源氏物語の謎』(1980・祥伝社)の表紙

  写真2:『源氏物語99の謎』(1984・徳間文庫)の表紙

  写真3:『王朝才女の謎』(1986・徳間文庫)の表紙

  写真4:『数理歴史学』(1970・筑摩書房)の表紙

  写真5:『文章心理学の新領域』(1960・東京創元社)の表紙

  写真6:『光る源氏の物語 上』(1989・中央公論社)の表紙


  (追 記  情報)

 源氏物語に関する安本作品が他にもあるので列記する。(ネット「ウィキペディア 宇治十帖」より作成)

 雑誌掲載論文
  1957年 「宇治十帖の作者-文章心理学による作者推定」(『文学・語学』1957年4月号)
  1958年 「文体統計による筆者推定-源氏物語・宇治十帖の作者について」(『心理学評論』Vol.2 No.1 心理学評論刊行会 )
  1961年 「文章心理学の新領域」(『国語学』1961年6月)→(改定版 誠信書房 1966年)

 単行本
  1960年 『文章心理学の新領域』(東京創元社)
  1965年 『文章心理学入門』(誠信書房)
  1966年 『文章心理学の新領域−改訂版』(誠信書房)


 藤本 泉(ふじもと せん、1923〜?)(ネット「ウィキペディア 藤本 泉」より抜粋)

 推理作家・小説家。本名は、藤本せん子。日本大学国文科卒業。

 1977年、『時をきざむ潮』で第23回江戸川乱歩賞を受賞。

 『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出す。

  1989年2月、旅行先のフランスから子息に手紙を出したのを最後に消息を絶つ。

 一説に、共産国家崩壊期の東欧で取材中拉致され、処刑されたとも言われていたが、東京で存命である(『文藝年鑑』)。

 75歳で死去したとの情報もある。

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