3月29日の新聞各紙に活断層誤認の記事が出ている。今年の2月6日に、東大地震研究所が立川断層帯に水平方向に動く横ずれの活断層があると説明会で発表し、現地で、根拠となった石の並び方が断層のずれを示している地層をマスコミに先行公開した。
その後、一般公開(8・9日)に、来ていた土木関係者から断層のずれを示している石はセメント製の人工物であると指摘があった。
東京都の発表では、これまでの調査で立川断層のM7.1〜7.3規模の活動周期は5000年で、直近では1400年前に動いたとされている。
ということは、断層のずれのなかに1400年前には存在していないセメントの石はあるはずがないので、調査団の判断は誤りということになる。
再調査の結果、活断層は誤認と記者会見があった。
≪(調査した)佐藤(比呂志)教授は「こういうものが見たいという強い欲求が誤りの原因。
見たいものを見ていたということだ」とミスを認めた。≫(『産経新聞』2013.3.29)事実誤認は、思い込みと確認不足が原因で起きたものである。
その遠因には、マスコミ公開のスケジュールに間に合わせるために、調査の途中で発表したという背景がある。
すなわち、調査団は充分に議論や検証をする前にとりあえず発表し、現地をマスコミに先行公開をして、活断層があると宣伝して、世論を作り上げようとした、ということである。
とても危険である。
旧石器捏造事件では、調査にかかわっていない別の研究者がこれはおかしいといくら発言しても、マスコミが大々的に新聞報道した後では、誰も耳を貸さなかった。
同じ研究者でも、自分にとって都合のいい成果が出ていると、これが間違いないものかと考える以前に、集団催眠にかかったように、いわれるままとなってしまった人が続出した。
国立歴史民俗博物館の炭素14の測定による推定年代にも同じ影を感じる。
箸墓古墳から出土した炭化物の測定で、幅広くいろいろな年代が推定されているのに、自分の研究に都合のいい数値のみを取りあげ、他の数値を無視しているのは、いかがなものであろうか。
活断層を調査した佐藤教授が「(活断層を)見つけたいという強い思いがバイアス(偏り)となって、『見たいものが見えてしまった』ということだ」というのと同じではないだろうか。
例えばである。
国立A大学のB教授が「卑弥呼はいなかった」とマスコミに発表したとする。
理由は、「卑弥呼が王位に就いてから、彼女に目通りした者がほとんどいない」と魏志倭人伝に書かれているからである。
マスコミは、真偽をさして調べもせず、教授の権威に同調して、大々的に報道する。
B教授は言う。そもそも、乱れていた倭国を一人の巫女が治められるわけがない。
実態は有力な王の数人が、いもしない超能力者を作り出し、神の啓示を自分たちで決めて倭国を治めていたのである。
卑弥呼の卑は非であり、存在していないことを名前自身が示している。
これを卑弥呼の暗号と名づける。
張政が倭にやって来たときには、卑弥呼はすでに死んでいたと、魏志倭人伝に書かれている。
つまり、張政は卑弥呼に会っていない。
郡使や魏使などの第三者で、確実に卑弥呼に会った者は、誰一人としていない。
B教授は、自説をこれは今まで誰も思いつかなかったすばらしい仮説であると思う。
雑誌やテレビも、新説登場、邪馬台国問題解明か、などと後追いをする。
B教授は自身の仮説を証明するために、古今東西の史書を調べる。
ときには、偽書と呼ばれるようなものにまで手をのばす。
不思議なもので、どんな突拍子もない思いつきでも、それを可とする事例が一つや二つは見つかるものである。
B教授が、熱心に、まじめに調べれば調べるほど、事例が増える。
考古学的には、魏志倭人伝にある奴婢百人殉葬を証明する遺跡はない。
現在まで、厖大な数の遺跡が発掘調査されているにもかかわらずである。
B教授の指導を受けている研究員は自動的に、B教授説に従う。
親しい学者仲間は見てみぬ振りをするか、あたりさわりのないコメントでお茶をにごす。
だれも決して否定はしない。新しい切り口とか、ユニークな研究と批評する。
出版社も本が売れれば、いくらでも発行する。B教授の名前は絶大である。
しばらくすると、B教授説のなかで自分の説に都合のいい部分だけを取りあげ、賛意を表す人も出てくる。
B教授は、もう自説を確信して、疑わない。
自説を否定する者は、すべて相手がまちがっている。相手の考えがおかしい。
周りの声は、B教授の耳にはもう届かない。
(念のために書くが、私は卑弥呼がいなかったとは思っていないので、反論はしないでほしい。)
その誤っているかもしれない成果を、人はなぜ、簡単に信用してしまうのだろう。
菊池聡(代表編者)氏の『不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門』(1995・北大路書房)という本がある。
そのなかに田村美恵氏の「影響されるこころ」がある。ちょっと長いが引用する。
≪ 権威に服従しやすい理由
なぜ、私たちはいとも簡単に権威に服従してしまうのでしょうか。
それは、私たち自身が「権威には服従するものだ」という考えをもっているからだと思われます。
このような考え方は、子どもの頃から現在までの教育を通して長い間に社会的に学習されたものです。
ふだん私たちは意識していませんが、権威への服従は私たちに利益をもたらすことが多いのです。
権威ある人々からの情報は、ある状況でどのように行動したらよいかという指針を与えてくれます。
また、権威に従うことによって報酬も得られます。
たとえば、親や教師に従うのは、彼らの忠告が私たちを適切な行動に導いてくれるからだけでなく、そのことで私たちがほめられるといった心理的な報酬を得ることができるからでもあります。
このように、権威に服従することで利益を得られることを一度学んでしまうと、私たちはこの都合のよいやり方に頼るようになります。
その結果、権威への服従は、多くの場合、自動的に行われるようになってしまうのです。≫≪ 他人と同じように行動する――同調の心理
情報的影響による同調であれ、規範的影響による同調であれ、その根底には「少数者になることへの不安」があると思われます。
人間が社会的存在である以上、私たちは常に孤立や仲間外れにされることに対して不安をもっています。
過ちを犯すことよりも、孤立することへの恐怖の方が上回ることもめずらしくはありません。
アッシュの実験においては、多数派であるサクラの回答が正しくないことは一目瞭然でした。
にもかかわらず、多くの被験者が多数派に加わったことは、孤立への恐怖が実際相当のものであることを示しています。≫≪ マスメディアがつくり出す「現実」
私たちは、自分の手元にある情報をもとに、周囲の環境のようす、すなわち「現実」についての認識を形づくっていくわけですが、マスメディアが情報の主要な供給源である以上、私たちが「現実」だと思っていることは、一度、マスメディアのフィルターを通して形づくられた「現実」であるといっても過言ではありません。≫一般の人は、権威のある人や研究所が論を唱え、マスコミが報道すれば、ほとんど無条件で信じるものなのである。
研究所の研究員は、その上司である部長や所長の唱えることに従うものなのである。
ましてや、国立の頂点に立つ研究機関が、大新聞を使って際限なく発表し続ければ、正否にかかわらず信じるものなのである。
活断層の誤認は、他人事ではない。誰にでも起こりうることなのである。
自分の調査結果、判断が絶対などとは思ってはいけない。
ましてや、自説をマスコミを使って多数意見に操作してはいけない。
私は佐原真氏はすばらしい研究者であると思っている。
ただし、氏には功罪があるとも思っている。
功は、マスコミを使って、破壊されそうだった吉野ヶ里遺跡を救ったことである。
罪は、考古学者にマスコミの効用を知らしめたことである。
活断層の誤認が、直後に正されたのは奇跡的に幸運なできごとなのである。
旧石器捏造が正されるまでにどれだけの量の誤った情報が流され続けていたかを忘れてはならない。
研究者たる者は、今回の断層誤認の轍を踏まぬように、他山の石として肝に銘じておきたいものである。
写真1:東京都武蔵村山市と立川市にまたがる立川断層の調査現場をマスコミに先行公開 (ブログ「はちま起稿」2013年3月29日より)写真2:問題の断層にある石(矢印) (ブログ「はちま起稿」2013年3月29日より)
写真3:『不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門』の表紙 (1995・北大路書房)
付 記『不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門』(1995・北大路書房)の編著者の略歴(本書より)
菊池 聡(きくちさとる)
出身:1963年 埼玉県生まれ 長野県在住
現在:京都大学教育学部教育学研究科 博士課程を経て
信州大学人文学部文化情報論講座助教授
専門:認知神経心理学、文化情報論
ウィキペディア情報田中美恵(たむらみえ)
出身:1968年 新潟県生まれ 京都市在住
現在:京都大学大学院教育学研究科 博士課程
専門:社会心理学アッシュの実験
アッシュの実験とは?
(言わずもがな)
なぜ、付記に『不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門』の編著者の略歴を書いたかというと、両者の学歴が京都大学だからである。
あまり有名でない大学出身ならば、たぶん掲載しなかったであろう。単なる権威付けである。
一方で権威に嫌悪感を感じながら、他方で権威を利用しようとしている自分がいる。
なんと、愚かなことか。面目ない。
あなたは、権威に惑わされることなく、自身の目でしっかりと見極めて欲しい。
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