千葉支部 第3号
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活動報告(2)

2015/07/12

   ☆ 第2回 勉強会 開催!!

 7月5日(日)に第2回 勉強会が開催された。

 朝からの雨である。どうも私は雨男みたいである。

 それでも、各地から勉強熱心な方々、9名にお集まりいただき感謝に耐えない。

 今回は『先代旧事本紀』の現代語訳をされた志村裕子さんに講演をお願いしている。

 志村さんは、各地で講演をされたり、『季刊邪馬台国』に依頼された原稿の執筆中のとてもお忙しい方である。

 お願いした演題は「物部氏の東遷 −『先代旧事本紀』から見える世界」

 何度か他所で講演されているテーマにもかかわらず、その時のレジメをそのまま使わずに、この会の講演のために新たに書き下ろした資料を用意していただいた。

 感謝とともにその熱意に感激である。


 志村さんはいう。

 物部氏の先祖であるニギハヤヒの命が神武天皇の東遷以前に大和へ天下ったと「記紀」にある。

 しかし、「記紀」にはニギハヤヒの命についての情報がほとんどない。

 そこで、『先代旧事本紀』みるとその出自や天下りの様子が詳しく記されている。

 ニギハヤヒの命は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という名で、ニニギの命の兄とある。

 ニギハヤヒの命が大和へ天下ったときに、三十二の神々、五伴の緒と物部二十五部が従ったという。

 レジメには、その三十二の神々や物部二十五部の一覧がある。

 『新撰姓氏録』や籠神社の『勘注系図』を含めた文献には、先祖神と氏族名は書かれているが他のことは不明である。

 それが、志村さん作成の一覧には主要関連神社とその所在地が記されていて、そのうえ周辺遺跡まである。

 志村さんが足で捜し求めた成果である。

 これは本当にすばらしい。

 例えば、「天御陰命(あめのみかげのみこと)」は「凡河内の直」の先祖神である。

 その神を祀っているのが「御上(みかみ)神社」であり、滋賀県野洲市三上にある。

 志村さんはそこへ訪れ、神官の話を聞いている。

 神官はいう。私たちの先祖は「天御陰命」です。

 文献に書かれていることが、現実となってここでは連綿と受け継がれている。

 近くに大型銅鐸が出土している大岩山遺跡がある。

 「記紀」に名前しか記されていない神々の実態がここにある。

 志村さんのはなしは、広く深く圧倒的な存在感をもって、われわれに迫ってくる。

 予定の一時間半がすぎても、留まるところを知らない。

 しかし、勉強会の「魏志倭人伝」の読み直すもやりたい。

 ひとまず休憩を入れて、会場の公民館に一時間の延長を頼みに行く。

 再開後は「魏志倭人伝」とは? もう一度読み直す(1)に移る。

 『三国志』はいつ完成したか。

 『三国志』や『晋書』に出てくるいろいろな年号を付き合せ範囲を徐々にせばめて、284年を確定する。

 「魏志」、「倭人伝」はいつ?

 これも同様の手法を用いて、280年ころ、257年ころを導き出す。

 以上は邪馬台国の会での安本先生の講演の再確認である。

 正史とはなにか、正しい史実を記録したものではない、とはチョッと驚きである。

 陳寿の人物像を求めて、『晋書』の「陳寿伝」読みあわせを予定していたがこれはカット。

 各自にあとで読んでもらうことにして、田中靖彦氏の「陳寿の処世と『三国志』」の結論の紹介でまとめとする。

 『三国志』の原本、写本、版本の話をして、現在我々が使う百衲本の説明をして終わる。

 残り時間はフリートークの時間とする。

 志村さんの話は、最後までいっていなかったので、いくつか質問が出る。

 遠賀川流域の地名と大和の地名はどちらが先か、

 北九州の物部氏と畿内の物部氏はどちらが主体か

 ニギハヤヒの命が結婚したウマシマチの命系とアマノカゴヤマの命系の問題

 いずれも結論には至らず、問題山積、解決していかなければならないことがたくさんあるらしい。

 志村さんの今後の研究の進展に期待したい。

 帰りは駅前の喫茶店に入り、懇親を深めた。


 写真:第2回勉強会の記念講演の様子。(館長撮影)



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