館長の小論報第18号
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館長の小論報 第18号

2021/12/05

   ☆第18号 天岩戸神話の本当の意味

天照大御神は、生まれたときにイザナギ命より玉飾を賜わり「お前は私に代わって高天原を治めよ」と命じられる。

 《即其御頸珠之玉歯齬R良邇 取由良迦志而、賜天照大御~而詔之「汝命者、所知高天原矣。」事依而賜也》(古事記・上巻−2 禊はらい)

父神の命令に従って、天照大御神は高天原を治め、高天原の最高神となる。

ある時、スサノヲ命が高天原にやって来て、天照大御神と誓約(うけい)の勝負を行ない、スサノヲが自分の勝ちを叫ぶ。

その後、スサノヲが乱行を激化させ、ついに天照大御神は天岩戸(=天石屋戸)の中に引き籠もってしまう。

これが、天岩戸神話のはじまりである。

古事記による世界観をみると、高天原、葦原中国、黄泉国とある。

観念的には天上、地上、地下であるが、現実的には、いずれも地上の国である。

「海原を治めよ」といわれたスサノヲは、天照大御神の統治している高天原にやって来て、勝負を挑んでいる。

これは侵略者と為政者の抗争である。天照大御神が武装して臨んでいることで分かる。

それに天照大御神に勝ったスサノヲは我が物顔に高天原で、乱暴狼藉を行ない、負けた天照大御神は、天岩戸に隠れていることが証拠である。

天照大御神が岩戸に隠れたとは、天照大御神の死を意味すると言える。

岩戸のことは、万葉集の「日並皇子尊(=草壁皇子)の殯(もがり)宮の時に柿本人麻呂作る歌」の中に出てくる。

 「天の原 岩戸を開き 神上り 上がりいましぬ」第2巻167番歌
 (天原 石門乎開 神上々座奴)

殯宮は、貴人を正式に埋葬する前に、死体を棺に納めて安置しておく仮の宮の事である。

神上がりいましぬとは、神として天へ上がられたということである。

即ち、皇子が死に、墳墓に埋葬されたことを、岩戸を開いて天に上ると表現したのである。

万葉集の「河内王が豊前国の鏡山に葬られたときに、手持女王が作った歌」にもある。

 「豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず」第3巻418番歌
 (豊國乃 鏡山之 石戸立 隠尓計良思 雖待不来座)

歌の意味は、「岩戸にお隠れになった君は、待っても帰ってこない」である。

この場合岩戸は死者が他界に行く入口を示し、生と死(現世と他界)の境を意味している。

考古学的に弥生時代の墓制をみると甕棺・石棺・木棺を埋葬した土壙墓や土を盛った方形周溝墓や四隅突出型墳丘墓など多くの形態がみられる。

日本の弥生時代の洞穴遺跡を調べると、住居、祭祀場、埋葬墓などがある。

住居址では、福岡県の関山遺跡がある。

遺跡の詳細は分からないが、出土物に土器・石包丁・勾玉・獣骨・木炭片などがあり、生活が見える。

祭祀場では、新潟県の浜端・夫婦岩洞穴遺跡がある。出土物に卜骨がある。

埋葬墓では、長崎県の下本山岩陰遺跡がある。弥生時代の箱式石棺から二体の埋葬人骨が検出されている。

天岩戸の洞穴が、埋葬墓である可能性は充分にある。


天照大御神が岩戸のなかに引きこもった後をみると、高天原も葦原中国も闇に包まれ、いたるところで災いがおこる。

その後の対策を分かりやすく箇条書きにする。

それは古事記の記述に「〜して、〜して、〜して」《〜而〜而〜而》とあり、行動を次、次、次と途切れさせずにつないでいることを模すからである。

 1 八百万の神々が天の安河に集まる。
 2 高皇産霊神が思金神に命じて、対策を考えさせる。
 3 思金神が深謀に基づいて、担当の神に命じる。
 4 常世国の長鳴鳥を集めて鳴かせて、
 5 安河の川上の鉄を取り、天津麻羅と石凝姥命に鏡を作らせて、
 6 玉祖命に大きな勾玉を連ねた玉飾りを作らせて、
 7 天白羽神に麻を育て、青和幣を織らせて、
 8 天太玉命に天香具山の真男鹿の肩骨で太占を行なわせて、
 9 天太玉命に榊で神籬を作らせ、玉・鏡・幣を下げ神事を行なわせて、
 10 天児屋根命に太祝詞を奉上させて、
 11 天手力男命を岩戸の脇に立たせて、
 12 天鈿女命を伏せた桶の上で踏み鳴らしながら激しく躍らせて、
 13 集まっていた八百万の神々がどよめき、ともに笑った。
 14 天照大御神がこの騒ぎを奇妙に思い、岩戸を細目に開け尋ねる。
 15 天鈿女命が“あなた様にも勝る貴い神がおいでになると”答える。
 16 天児屋根命と天太玉命が鏡を差し出し、見せる。
 17 天照大御神は更に奇妙になり、岩戸から少し出て鏡をのぞき込む。
 18 天手力男命が天照大御神の手を取り引きずり出す。
 19 天太玉命が岩戸の口にしめ縄を引き渡し“戻ってはなりません”という。
 20 天照大御神が外に出ると、高天原も葦原中国も明るく照り輝く。

図4:岩戸神楽乃起顕(二代目歌川豊国 図) 

思金神の考えによって行なわれたこれらの行事の意味はなんであろうか。

ここで、魏志倭人伝にある葬礼に関する記述を見る。

  《死ぬと、棺におさめられるが槨はなく、土をつんで冢を作る。
   死ぬとすぐ十日余りのもがりをし、その間は肉を食べず、喪主は哭泣し、ほかの者はそのそばで歌舞し酒を飲む。
   埋葬が終わると、家じゅうの者が水中に入って身体を洗うが、その様子は中国で行なう練沐とよく似ている。》

  《其死,有棺無槨,封土作冢。始死停喪十餘日,當時不食肉,喪主哭泣,他
   人就歌舞飲酒。已葬,舉家詣水中澡浴,以如練沐。》

主が死ぬと、他の者は集まり、死者のそばで歌舞が行なわれ、酒を飲んで、埋葬したとある。

この記述に従うと、天照大御神が死に八百万の神々が集まり、天鈿女命の舞を見ながら飲食(直会・なおらい)をして、死者を弔ったとなる。

ここで、問題になるのは死んだ天照大御神の復活である。現実問題として死者は生き返らない。

それが復活したというのは、岩戸の陰から出てきたのが、天照大御神の跡を継ぐ二代目の天照大御神と私は考える。

初代天照大御神は岩戸に埋葬され、その入り口に天太玉命よってしめ縄が張られ、出られなくされたのである。

ネットのウィキペディアには、しめ縄は、神道における新祭具で、神聖な区域とその外(現世)とを区分するための標(しめ)である、と書かれている。

また、起源として天照大御神が天岩戸から出た際に二度と天岩戸に入れないよう岩戸にしめ縄を張ったとされている、ともある。

つまり、岩戸の出入りを遮断したのである。

延喜式によれば、宮廷で行なわれた古代の鎮魂祭において、巫女たちが「槽伏し」激しい踊りを大王家の祖神へ奉納する儀礼に列したとある。

古語拾遺にも、天鈿女命の子孫の猿女君は鎮魂祭に際して神楽を奉仕したという。

天鈿女命の舞いは、鎮魂の葬礼と思われる。

思金神は、いろいろな行事を展開して、最後になぜ天岩戸にしめ縄を張らせたのであろうか。

それは、死んだ天照大御神の葬礼を行ない、埋葬して墓に封じ込めるように、高皇産霊神に命じられたからである。

高皇産霊神は、天地がはじめて分かれたとき、高天原に成り出た三柱の一柱である。

本来、高天原を統治する最高神であり、皇祖神なのである。それが、なぜか天照大御神に権力の場を奪われていた。

天照大御神の死をもって、高皇産霊神は権力の奪還を計画したのである。

天岩戸の前で行なわれた儀式を担当した神々の系譜を見てみる。

行事を企画し、取り仕切った思金神は、高皇産霊神の息子である。

岩戸を開けた天手力男命は思金神の息子である。

他に勾玉で玉飾りを作った玉祖命、榊で神籬を作った天太玉命、麻を育て青和幣を織った天白羽神、太祝詞を奉上した天児屋根命、すべて、高皇産霊神一族である。

儀式を担当した9柱の神々の内6柱が高皇産霊神の子や孫たちである。

天の岩戸での儀礼を考え実行させたのは、高皇産霊神である。

そして、天照大御神の跡継ぎを決めたのも高皇産霊神である。

二代目の天照大御神は、高皇産霊神の娘であり、思金神の妹の万幡豊秋津師比命である。

高皇産霊神は天照大御神を埋葬し、鎮魂して後、八百万の神々に自身の娘を披露し、後継者として承認させたのである。

さっそく、高皇産霊神は八百万の神々に諮り、暴れたスサノヲに償いの品物を山ほど出させ、伸びた髭と手足の爪を切り、穢れを祓う。

八百万の神々の決議によりスサノヲは高天原から追放された。

これによって、力を得た高皇産霊神は、万幡豊秋津師比命を天照大御神の息子の天之忍穂耳と結婚させ、高天原の最高主権者の義父となる。

忍穂耳と秋津師比命の間に子・邇邇芸命が生まれると、高皇産霊神は、最高主権者の外祖父になったのである。これで権力の奪還は完成である。

後に、蘇我氏や藤原氏が同様に娘を天皇に嫁がせて、天皇家の外戚となり、権力を欲しいがままにしている。

古事記によると、高皇産霊神は岩戸事件以前では神々に命令を下したことがなく、以後では天照大御神と共同で命令を出したり、一人で出すようになっている。

天照大御神との共同とは、嫁がせた秋津師比命を前に立て、実際は高皇産霊神が命令を下したと解釈できる。

日本書紀では、やはり高皇産霊神は岩戸事件以前では神々に命令を下したことがなく、以後では1回を除き、高皇産霊神一人が12回命令を下している。

詳細は、安本美典氏の講演会の資料にある。

図6:『記・紀』における天照大御神と高皇産霊神による下知の状況

天岩戸以後、高皇産霊神は、葦原中国の平定ができない天若日子を処罰したり、出雲に国譲りを命じたりしている。

邇邇芸命の天孫降臨のときに、古事記では天照大御神(二代目)と高皇産霊神が一緒に、日本書紀では高皇産霊神が単独で命令を下している。

邇邇芸命が従えた五伴緒は、天児屋根命・天太玉命・天鈿女命・石凝姥命・玉祖命であり、すべて天岩戸で活躍した神である。

他に思金神・天手力男命も参加している。この時点での高皇産霊神は高天原の最高統率者で、最強である。

その後も、神武が東征で困ったときに、高倉下の夢に登場して助けるなど活躍をしている。

 以上をまとめる。

高天原で権力をふるっていた天照大御神がスサノヲとの争いで敗れ、死ぬ。

本来、高天原で最高神である高皇産霊神は、チャンス到来として自分の一族の神々を使い、天照大御神の葬礼を行ない、埋葬後、墓を封鎖する。

その場で、天照大御神の後継者として娘の万幡豊秋津師比命を披露し、承認させる。

以後、権力を得て、高皇産霊神が高天原の最高統治者となる。

これが天岩戸の神話の本当の意味である。

             (2021.3.10記 未発表)


  挿図4:岩戸神楽乃起顕(二代目歌川豊国貞 図)(ネット「神楽舞踊の始祖天宇受売命 368からすの数霊」より)
  挿図5:高皇産霊神(ネット「高御産巣日神、神産巣日神 神々の東雲」より)
  挿図6:『記・紀』における天照大御神と高皇産霊神による下知の状況(ネット「邪馬台国の会 第319回講演会資料」より)


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