館長の小論報第17号
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館長の小論報 第17号

2021/11/21

   ☆第17号 天照大御神は卑弥呼たり得るか

「邪馬台国の会」主宰の安本美典氏は、天皇の在位年数に注目して、天照大御神は卑弥呼であると導き出している。

私はその結論を別の視点からその説が成立するか、否かを考えてみる。


安本美典氏はいう。

第21代雄略天皇(=倭王武)が宋へ遣使を出した478年から第50代桓武天皇の在位年数(781〜806)の中間点793.5年までの総在位年数は793.5−478=315.5年である。

それを29代(50−21)で割ると、天皇1代の平均在位年数は、10.88年となる。

その上、古代ほど天皇の在位年数が短くなる傾向がみられる。

これから推して1代平均を10年とすると、神武天皇は270〜300年ごろ活躍していたことになり、神武天皇より5代前の天照大御神は220〜250年ごろとなる。

『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は239年に魏の皇帝に使いを出している。以上のことをふまえて、安本氏はいう。

図1:天照大御神(歌川国貞 図)、 図2:卑弥呼(安田靫彦 図) 

 《(天照大御神の時代は、)卑弥呼の時代とまさに重なりあう。私たちは、年代論的に無理なく卑弥呼に比定しうる女性を、
 『古事記』『日本書紀』の神代の記述のなかにみいだしうるのである。》(『新版 卑弥呼の謎』)

安本氏は、天皇の平均在位年数から、神武天皇の5代前の天照大御神を卑弥呼に考えているが、ここで一つ疑問がある。

神武天皇以後の天皇は『記・紀』にある即位の記述によってその代数がわかるが、天照大御神が神武天皇の5代前というのは系図上の5世代前のことであり、
統治者として5代前ということを意味しないと思う。

統治者の代数と系図の代数は一致するとは限らないのである。

例えば、第27代安閑天皇から第33代推古天皇までには、系図2世代で7人の天皇がいる。

『宋書』の倭の五王にも兄弟継承の記事があり、1世代1人とは限らないのである。

安本氏自身も「古い時代の父子継承記事は信じられない」「父子継承の率はさかのぼるにつれて低くなる」といっている。

しかし、結果的に安本氏は神武天皇と天照大御神の間はすべて父子継承として扱っている。その中には兄弟継承はないのであろうか。

安本氏が平均在位年数を計算した雄略天皇から桓武天皇までの世代数と天皇の人数を調べてみる。

第21代雄略天皇には同世代に第20代安康天皇がいる。

また、第50代桓武天皇即位前に、系図上の次世代に前代の第46代孝謙天皇、第48代称徳天皇(重祚)の存在がある。

そして、第25代武烈天皇と第26代継体天皇を同世代と考えると、系図12世代で31人の天皇となる。系図1世代で平均2.58人である。

仮にこの数字を機械的に神武天皇5世代前に当てはめてみると、神武天皇から天照大御神にさかのぼる間に2.58人×5世代=12.9人の統治者がいることになる。

神武天皇と天照大御神の間に13人の統治者がいたとすると、その統治期間は10年×13人=130年間となる。

神武天皇が270〜300年ならば、天照大御神は140〜170年ころとなる。

天照大御神と卑弥呼は年代的に合わないことになる。

このことは、系図を疑わず、神武天皇から天照大御神までを5世代とした場合、天照大御神は卑弥呼にはなりえないことを意味する。

そこで、神武天皇・天照大御神間に何人の統治者の存在が考えられるか、系図に問題はないのか、『記・紀』の記述を検討してみる。

なお『記・紀』では神名表記が異なるので、以下、神名は『古事記』をもとにカタカナによる略表記とする。

まず、アマテラス(天照大御神)からニニギ(天津日高日子番能邇邇芸命)までをみる。

高天原の統治者であるアマテラスは弟のスサノヲ(須佐之男命)との誓約(うけい)をする。アマテラスは誓約に敗れ、勝ったスサノヲは暴れまわる。

アマテラスは天の岩屋に隠る(こもる)。スサノヲは神々によって追放される。

アマテラスは復活して、オシホミミ(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命)に葦原中国の統治を命ずる。

しかし、オシホミミは高天原に立ち戻り、統治は失敗をする。

オシホミミはタカミムスヒ(高御産巣日神)の娘を娶り、ニニギをもうける。

アマテラスとタカミムスヒが共同でニニギを天降らせる。

天の岩屋事件は、安本氏によれば、《「天の岩屋に隠る」という表現は、ふつう貴人の死を意味》し、それに皆既日食を合わせると説明できるという。

アマテラスが勝負に敗れ、死に至れば、これは統治者交替である。次の統治者はスサノヲとなる。これは姉弟継承である。

しかし、スサノヲは統治に失敗し、その統治は短期間で終り、追放されている。

アマテラスはその後、復活している。区別するために天の岩屋前をアマテラスA、後をアマテラスBとする。

天の岩屋事件の前後でアマテラスの行動に違いがみられると安本氏はいう。

 《天の岩屋事件のまえでは、天照大御神は、『古事記』、『日本書紀』本文ともに、どんなばあいでもひとりで行動していることになっているのにたいし、
  天の岩屋事件のあとでは、天照大御神は、しばしば、高御産巣日の神とペアで行動し、あるいは、高御産巣日の神が天照大御神をさしおいた形で、
  他の神々に、命令などを下している》(『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』)

アマテラスAの縁につながるオシホミミに自分の娘トヨアキズシヒメ(万幡豊秋津師比売命)娶わせて、統治に介入するタカミムスヒの存在がそこにある。

では、タカミムスヒは統治者かというと、『記・紀』はともに引き続きアマテラスを統治者として記述しているので、次の統治者はアマテラスB(=トヨアキズシヒメ)と考えられる。

この間に辞退を繰り返すオシホミミに統治者としての姿はない。

アマテラスBの次の統治者は天降った天孫のニニギである。

ニニギはアマテラスBから八坂瓊曲玉、八咫鏡、草薙剣の三種の神器を授けられている。

次は、ニニギから神武天皇までをみる。

ニニギは日向の高千穂の山に天降る。コノハナサクヤビメ(木花之佐久夜毘賣)との間に3柱の子をもうける。

兄・ホデリ(火照命・海幸彦)と弟・ホヲリ(火遠理命)が支配権をめぐって争い、ホヲリが勝ち、ホデリは弟に忠誠を誓う。

ホヲリはトヨタマビメ(豊玉毘賣)を娶り、ウガヤフキアヘズ(天津日高日子波限建鵜茸草茸不合命)をもうける。

ウガヤフキアヘズはトヨタマビメの妹・タマヨリビメ(玉依毘賣)を娶り、カムヤマトイワレビコ(神倭伊波礼毘古命)をもうける。のちの神武天皇である。

『記・紀』はともに同様の系図を記しているが、梅澤恵美子氏はいう。

《これはよくいわれることなのだが、天照大神から神武天皇につづく神々の系譜には矛盾がある。
天照大神の孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊の子で神武の祖父にあたる山幸彦が、彦火火出見尊という名であるのに対し、
(『日本書紀』の)神代下段十一段一書第二には、神武天皇の名が神日本磐余彦火火出見尊、
さらに神武紀では、神日本磐余彦天皇としたうえで、神武天皇の「実名」は、彦火火出見であったとする。
つまり、祖父と孫の名がここで重なってしまうのである。(略)
要するに、天孫降臨した天津彦彦火瓊瓊杵尊の子が神武であって、そのほかの系譜はあとから付け足したものだということである》(『天皇家はなぜ続いたのか』)

その理由を梅澤氏は、山幸彦に敗れた海幸彦は隼人族の祖となる神であり、これは《「隼人服従」の説話を挿入するために系譜の工作が行なわれた結果》という。

また、《神武天皇をヤマトに誘ったのは塩土老翁であったと『日本書紀』は記録しているが、
これは山幸彦(彦火火出見尊)を、竜宮城に誘ったのが塩土老翁であったことと共通している》ことも挙げている。

山幸彦の子、ウガヤフキアエズのことは、それぞれの妃がオオワタツミ(大綿津見神・海神)の娘姉妹であり、
ニニギのときのイワナガヒメ(石長比売)とコノハナサクヤビメのように姉妹を一緒に娶わそうとすることがあり、山幸彦の場合も一人の出来事として不思議はない。

神一行氏によれば東大阪市の「石切剣箭命神社」の祭神は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命であり、
北条市(愛媛県)の「国津比古命神社」の祭神は天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命である。

これらの神名より彦天火明とはニギハヤヒのことであるという。(『消された大王ニギハヤヒの謎』)

また、『日本書紀』神代下第九段一書第八には、ニニギの兄・天照国照彦火明命の名がある。

国宝に指定された籠神社の『海部氏本系図』には、彦火明命はニニギの弟と記されている。

これらのことからニニギとニギハヤヒ(彦天火明=彦火明命=天火明命)は、兄弟であるという。

『記・紀』の系図によれば、ニニギ―山幸彦―ウガヤフキアエズ―神武とある。

神武天皇がヤマトでニギハヤヒに出会うのは60歳を超えていたころと思われる。

となると曽祖父の兄弟あたるニギハヤヒは150歳以上となり、年代が合わないことになる。ここに『記・紀』の作為があるという。

神武天皇をニニギの子とする梅澤説ならば、この矛盾が解決し、神氏の指摘が梅澤説立証を補強する。

以上をまとめると、アマテラスから神武天皇までは、3世代で4人と考える。

アマテラス―スサノヲ―トヨアキズシヒメ―ニニギ―神武天皇

この場合、親子による継承は2例であり、父子継承率は50%となる。安本氏のいう天皇100人平均の父子継承率の47%に近い値になる。

神武天皇を270〜300年とするならば、アマテラスの活躍時期は10年×4人=40年前の230〜260年頃となる。

この結果は、天照大御神が卑弥呼である可能性を年代的に支持するばかりでなく、『魏志倭人伝』の記述とも一致する。

『魏志倭人伝』は、卑弥呼の死後、男王が立つが国中が服せず、卑弥呼の宗女・壱与(台与)が王となる。壱与(台与)は後見人が必要なほど若い13歳である。

アマテラスAの死後、スサノヲが王となるが、神々が追放する。

アマテラスB(=トヨアキズシヒメ)が王となり、統治するが、タカミムスヒが共同で命令を出すようになる。

私は安本氏のアマテラスから神武天皇までを5世代5人とする立場は取らないが、以上の検証によって天照大御神は卑弥呼であるという考えは成立すると考えている。

             (2010.4.25記 未発表)


  挿図1:天照大御神 歌川国貞「岩戸神楽ノ起蹟」(部分)(ネット「日本の神道 日々思い感じた事」より)
  挿図2:卑弥呼 安田靫彦「卑弥呼」(部分)(ネット「「安田靫彦展」日曜美術館 京都で定年後生活」より)
  挿図3:天皇系図神代「古事記」より(楕円曲線を加筆)(ネット「ウィキペディア 天照大神」より)


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