11月17日、邪馬台国の会・川崎支部で、安本美典氏による講演会が行なわれた。タイトルは「邪馬台国はどこか」である。
講演は、わかりやすく、丁寧で、安本氏の邪馬台国説がよく理解できた。
講演後、安本氏はいくつか質問を受け、答えられた。
そして、もっと詳しく知りたい方は今日の講演内容を雑誌にまとめて書いたので、よかったらどうぞと言われた。
その雑誌が、別冊宝島『古代史15の新説』(2016.12・宝島社)である。
この本に掲載されている論考を、安本作品として紹介する。
題は 「邪馬台国東遷説」の新展開 である。
本の表紙には、15人の著者による最新研究の成果に迫る 新視点で読み解く古代日本の論点とある。
著者として、安本美典氏をはじめ、長野正孝氏、関裕二氏、大平裕氏など15人の名前が並ぶ。
インタビュー記事として井沢元彦氏の名前もある。
目次をみると4つの章にわかれ、第1章に「邪馬台国論争の彼方へ」がある。
そのなかに安本論考がある。
まず、白鳥庫吉、和辻哲郎の東遷説を紹介し、その年代的根拠をのべる。
氏の基本的年代論である天皇の平均的在位年数によって「卑弥呼=天照大御神」を導き出す。
つぎに古事記の神話に出てくる地名をしらべ、天照大御神のいた場所を北九州地方と特定する。
筑後平野を流れる夜須川のすぐ近くにある大環濠集落の「平塚川添遺跡」を邪馬台国の候補とする。
九州と大和の地名の一致、弥生時代の遺跡の数と人口の推定、箱式石棺の分布より邪馬台国の位置を絞り込む。
そして、「魏志倭人伝」にみられる鉄鏃、鏡、絹の考古出土数をベイズの統計学によって確率計算をする。
邪馬台国は99.9%福岡県との結論になる。
最後が、卑弥呼の墓である。
安本氏は7つの要点をあげ、福岡県糸島市の「平原王墓」に卑弥呼が眠るという。
(1)平原王墓出土の鏡は、おもに、方格規矩鏡と内行花文鏡で、これは、邪馬台国時代の鏡とみるのにふさわしい。
(2)平原王墓出土の巨大内行花文鏡を「八尺の鏡」と考える原田大六説はかなり説得的である。
(3)古代においては、都の地と墓の地がはなれる場合がよくある。景行天皇、応神天皇などがその例である。
(4)平原王墓のある伊都国の地は「魏志倭人伝」によれば、女王国に統属している地であり、一大率を置いた地である。
(5)平原王墓出土の鏡は、質、量ともに他を圧倒している。今後、これを越える可能性はまずないといってよい。
(6)「魏志倭人伝」にある「径百余歩」は森浩一氏の指摘のように「墓域(兆域)」と考えるべきである。『延喜式』に兆域の例がある。
(7)「魏志倭人伝」にある殉葬奴婢百余人とあるが、奴婢は土にうずめるだけなので墓は残らないと考えられる。
以上が安本論考の内容である。
安本氏のほかに、卑弥呼の墓=平原王墓と考える研究者は少なからずいる。
しかし、私としては卑弥呼の「塚」(影印本では土ヘンはない)の大きさを表現する「径」が気になってしかたなない。
このコーナーは作品の紹介であって、評論ではないので、ここまでにする。
写真上:『古代史15の新説』の表紙(2016.12・宝島社)写真下左:平原王墓(推定復元)(館長撮影)
写真下右:平原王墓出土の巨大内行花文鏡・径46.5cm(伊都国歴史博物館蔵)(館長撮影)
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