全国邪馬台国連絡協議会の会員研究発表会で講演される山科威氏から事前に連絡があった。自著を当日、参加者に特別価格にて販売し、その全額を会に寄付したいと申し出があった。
全邪馬連ではありがたいことなので、その申し出を受け、私がお手伝いをした。
その時、別途「邪馬台国図書館」への寄贈をお願いして、快諾していただいた。感謝。
山科氏の著作は、2冊である。
『日本書紀・古事記編纂関係者に抹消された邪馬台国』(2014・風詠社)と
『小説 邪馬台国二代目女王 台与』(2015・風詠社)である。
『日本書紀・古事記編纂関係者に抹消された邪馬台国』で山科氏はいう。邪馬台国の所在地が未だ不明なのは、行程記述の分析に原因がある。
「魏志倭人伝」は他の項目の記述では正確に記している。
「魏志倭人伝」の行程記述が不正確になった理由はどこにあるのか?
その原因を探求し、台与の東遷に思い至る。
氏は、「魏志倭人伝」による目撃証言と現場検証により邪馬台国の位置を解明し、検証する。
本書の後半では、『古事記』と『日本書紀』二冊が編纂された謎や伊勢神宮創建の謎にも論考が及んでいる。
氏は帯の文章にいう。
〈我が国古代史に観察される諸々の出来事を、完全な一つのつながりとして統合し、論述することが出来た。〉
この本は、1931(昭和6)年生れの在野研究者が一行一行研究成果を書き込んだ労作である。
もう一冊は『小説 邪馬台国二代目女王 台与』である。物語は、語り部「鈿女」(うずめ)の独り言からはじまる。
本書は小説という形をとってはいるが、山科氏の研究成果に裏づけされたヒストリーである。
激動する時代に翻弄されながらも懸命に国の弥栄ため身を尽くし、
やがてこの国の礎を築き上げてゆく「台与」の物語である。氏はあとがきに思いのほどを綴っている。
〈この小説の背景である邪馬台国をめぐる歴史の流れは、
間違いなく我が国古代史の真実であると確信いたしております。〉
挿図上:山科威『日本書紀・古事記編纂関係者に抹消された邪馬台国』(2014・風詠社)の表紙(帯付)挿図上:山科威『小説 邪馬台国二代目女王 台与』(2015・風詠社)の表紙(帯付)
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