今年の6月に邪馬台国の会・千葉支部で講演をしていただいた伊藤雅文さんが本を出版された。『邪馬台国は熊本にあった!』(2016・扶桑社)である。
発売と同時に、伊藤さんによって出版社から直送で寄贈していただいた。感謝御礼。
深いオレンジ色の枠に黒地に文字が白抜きというスッキリした表紙の扶桑社の新書版である。
表紙の半分を帯が占め、古代史最大のミステリーへようこそ。というキャッチコピーが目を引く。
副題の ―「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国 に興味がそそられる。
伊藤さんは、邪馬台国への行程記事の中で「里数」と「日数」に注目する。魏志倭人伝にはこうある。
郡より狗邪韓国へ7000余里、次に対馬国へ1000余里……、
不弥国より投馬国へ船で20日、つぎに邪馬台国へ船で10日・歩いて1月。「里数」と「日数」が、郡より邪馬台国へという一つの行程の中に出てくる。
例えば、誰かが東京から大阪までの行程を説明する。
東京から横浜まで30キロ、次に静岡まで140キロ……、
そして名古屋から京都へは1日、次は大阪まで10時間。こんな行程を説明したら絶対おかしい。
伊藤さんは、「道里」とは何かを追求する。
「道里」を『三国志』のなかに探す。
全文検索をしたが、適切な例文がない。資料を求め続ける。
やっと、裴秀の『禹貢地域図』の序文に「道里」の明確な解釈を見つける。
「道里は人跡経由の路のことにて、此処より彼処に至るに、里数如何程かの謂いなり。」
「道里」は「里数」で表わされるとはっきり書かれている。
「日数」は「道里」ではない。
では陳寿は、なぜ「道里」でない「日数」の表記をしたのであろうか。
いや、陳寿がこんなおかしい表記をほんとうに書いたのであろうか。
伊藤さんの疑問がつぎからつぎへと起こる。
そのひとつひとつを根拠を挙げ検証していく。
終に、『三国志』改ざんがいつ行なわれたかを突き止める。
東治か東冶か、『翰苑』の伊都国は、周旋とは、……
それぞれに緻密な検証がある。
本書はまるで推理小説を読むように、謎解きが行なわれる。
シャーロックホームズに負けないほどの伊藤名探偵の独壇場である。
平易な文章で読みやすく、文字の脚注もあり、とてもわかり易い。
比定される遺跡の解説も新情報によって書かれ、読む者にありがたい。
無名の研究者の原稿をフジサンケイグループの扶桑社が出版するとは、その原稿のレベルが高いという評価である。
9月9日の産経新聞の3面下段に本書発売の広告がある。
出版社の力の入れ方が伝わってくる。
たぶん、もう全国大手の書籍店には並んでいると思われる。
ご興味のある方は、書店へどうぞお出かけください。
挿図上:伊藤雅文『邪馬台国は熊本にあった!』(2016・扶桑社)の表紙(帯付)挿図下:本書出版広告の部分(2016.9.9・産経新聞より作成)
|