館長だより 第87号
館長だより 第87号

館長の見聞録(38)

2016/08/14

   ☆ 山梨県立考古博物館と甲斐風土記の丘(その1)

 8月の暑〜い日に山梨県立考古博物館に行ってきた。

 暑い日を選んだわけではないが、山梨県身延町で39.2度を記録した。

 博物館左側の古代の広場に縄文時代の復元住居がある。(写真1)

 この住居は中央自動車道建設のとき見つかった金の尾遺跡13号住居跡をモデルに復元したという。

 住居内中央に長方形の石囲いの炉がある。

 復元住居の側に、珍しい敷石住居の敷石(写真2)や八乙女古墳の石棺も移築されてある。(写真3)

 遺跡はその場所に保存されることが望ましいが、博物館の苦肉の策と思われる。

 入場料は65歳以上で免除、館内は涼しい、ボランティアの方が説明をしてくれる。

 至れり尽くせりでありがたい。


 展示は旧石器時代から近代まである。

 旧石器では、黒曜石でできたナイフ形石器、尖頭器、削器などがある。

 ガイドの方がいう。旧石器人は狩りに行く時、石核を持っていって、石器が壊れたらそれで新しく作るんですよ。

 なるほど、それはありうるかもしれない。目からウロコである。


 縄文時代で目を引いたのが天神遺跡出土のヒスイ大珠である。(写真4)

 時期は前期で国内最古で最大という。

 縄文人にとって、お宝中のお宝であろう。

 お産の様子を表現した人面装飾土器がある。(写真5)

 土器の口縁上に三角形の装飾があり、その中央に人面がある。

 お産の苦痛のためか、目が吊りあがっている。

 まさにお産のただ中で土器の胴部下辺に人の顔が見える。赤ん坊か?

 この土器を写真では見たことがあるが、ここで本物に出会えるとは、おどろいた。

 逆さに伏せたおおきな土器がある。(写真6)

 遺体を埋葬した埋甕と説明がある。

 そばに発掘時の写真もある。

 どうも、幼児の埋葬に使われたらしい。

 土器胴部下端に穴が開けられている。

 死者の再生のための空気穴と説明を聞く。本当かなあ。

 説明はどうあれ、珍しく、貴重な遺物にはまちがいない。

 大きな深鉢形土器がある。ほとんど無傷の完形品である。(写真7)

 通常、発掘土器は、地中にありその土圧でつぶれている。

 それが、多少のひび程度で見つかったとは驚異である。

 模様もすばらしく、重要文化財に指定されている。


 山梨の弥生時代では、他地域と同様に水田跡や木製農具が見つかっている。(写真8)

 しかし、銅鐸や銅剣、銅戈などが発見されてない。

 かろうじて、垂飾り(ペンダント)に加工された銅鏡の縁の部分が出土している。

 反対に、弥生時代遺跡から土偶や容器形土偶が見つかっている。(写真9、10)

 弥生の生産文化は受け入れたが、縄文の祭祀文化はそのまま維持したということだろうか。

 そういえば、歴博でこのテーマの企画展「弥生ってなに?!」があった。

 水田稲作を行いながら土偶の祭りをしている青森県の砂沢遺跡の土偶が展示されていた。

 このときの山梨の文化をどう呼んだらいいのか。

 縄文か、弥生か、それが問題だ。

 歴博の藤尾慎一郎氏の基準では弥生の条件に方形周溝募があったと思う。

 山梨の弥生の埋葬形態としては、方形周溝募が数多くまとまって調査されている。

 これで、山梨はどっちと判断されるのだろうか。

                                             (つづく)


  写真 1:復元縄文竪穴住居(甲斐市金の尾遺跡13号住居址)(館長撮影)

  写真 2:敷石住居址(笛吹市一の沢西遺跡)(館長撮影)

  写真 3:組合せ式石棺(笛吹市八乙女古墳)(館長撮影)

  写真 4:ヒスイ大珠(北杜市天神遺跡)(館長撮影)

  写真 5:人面把手付深鉢(北杜市津金御所前遺跡)(館長撮影)

  写真 6:逆位埋甕(市川三郷町宮の前遺跡)(館長撮影)

  写真 7:深鉢形土器・重要文化財(甲州市殿林遺跡)(館長撮影)

  写真 8:木製農具(笛吹市身洗沢遺跡)(山梨県立考古博物館HPより)

  写真 9:弥生時代の土偶(甲斐市金の尾遺跡)(館長撮影)

  写真 10:弥生時代の容器形土偶(笛吹市岡遺跡)(山梨県立考古博物館HPより)


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