館長だより 第71号
館長だより 第71号

館長のおもいつき(16)

2015/04/05

   ☆ 「弩」について (5)考古遺物 その3

 まず、前号の追加。

 (8)熊本県熊本市・神水(くわみず)遺跡

 神水遺跡は弥生時代と奈良・平安時代を中心とした遺跡である。

 1983〜84年の調査では、弥生時代の竪穴住居跡が70軒見つかっている。

 ほかに甕棺墓11ヶ所、掘立柱建物遺構、溝状遺構などが検出されている。

 第13次調査では、弥生時代の竪穴住居跡が30軒以上も確認されている。

 ほかに長さ10m以上、幅4mという大型掘立柱建物遺構も発見されている。

 弥生時代の土器は多量に出土して、それらは中期及び後期のものと考えられている。

 銅鏃については、『神水遺跡発掘調査報告書』(1986・熊本市教育委員会)に報告がある。

 1983〜84年の調査で、54号住居址上面から出土している。

 54号住居址からは時期を決める土器の出土はない。

 銅鏃は、有茎の両翼鏃で、鏃身に樋がつく。

 ≪長さ3.3cm、身幅1.4cm、身の厚さ0.4cm、茎の厚さ0.5cmを測る。≫

 附論で岩永省三氏が考察をしている。

 ≪神水遺跡例も(今川遺跡と同様に)茎が太く二次的加工を受けているようにも見えるので、
  本来青銅武器の鋒部であった可能性も考えたが、腸抉部にも甲バリがあるので、
  逆刺(かえり)が左右に広がる現在の形状が本来のものとみなせる。≫

 これで九州では、5遺跡6点以上の発見となる。


 中国・四国では、5遺跡で5点以上見つかっている。


   (9)香川県坂出市・角山(つのやま)山麓

 ここに紹介する銅鏃は、遺跡からの出土品ではなく、1937〜1939年ころ畑の開墾中に発見されたものである。

 その詳細は川畑迪・渡部明夫「坂出市角山東麓採集の三翼鏃」(2005・『香川県埋蔵文化財センター研究紀要T』)にある。

 この資料は、香川県埋蔵文化財センターの山本さんにお手数をお掛けしてコピーを送っていただいた。感謝。

 採集地の畑は角山(標高184.2m)の東麓斜面、標高約45m付近にある。

 現在のところ、この付近から弥生土器などの遺物は発見されておらず、遺跡の内容は明らかでない。

 本銅鏃は、その形状から三翼鏃とわかる。

 ≪採集された三翼鏃は青銅製で茎、軸部、三翼部からなる。
  刃部に刃こぼれがあり、軸部の一部表面が剥落するものの、ほぼ完形、全長4.2cmを測る。
  茎は長さ0.7cm、直径0.4cm、軸部は断面が円形(中略)
  翼部は、鏃の先端から2.9〜3cm付近から始まり、先端に至る。(中略)
  重さは9.3gである。
  また、茎から翼の下部にかけて、断面図の最上部に、鋳型の合せ目を示す一条の「ばり」が認められる。≫

 ≪本例は採集品であり、共伴土器が確認できていないことから所属時期は明らかでないものの、
  (採集地と同様な低地に連なる小丘陵に弥生時代の遺跡が多く認められているので、)
  角山から採集されたものであれば、弥生時代の三翼鏃として良いであろう。≫

 なお、本銅鏃の写真は『讃岐青銅器図録』に紹介されていると論文の註にある。

 ネットで見つけて申し込んだが、売約済みで、入手できなかった。残念。


 (10)岡山県総社市・窪木(くぼき)遺跡

 1990〜1991年の調査地区で確認された住居址は29件あり、弥生時代中期から古墳時代前半のものである。

 ≪小柱穴から青銅製の三角鏃が出土した。
  これは従来知られていた三角鏃と形が異なるようで
  国内でつくられた可能性も考えられる。≫

 引用は「(仮称)岡山県立大学進入路・排水路工事に伴う調査概要」による。

 (1991・総社市教育委員会『総社市埋蔵文化財調査年報1』所収)

 ここでいう三角鏃は、私のいう三稜鏃のことである。

 鏃の大きさ等に関する記述はない。

 実測図があるが、そこには三種の縮尺がある。

 少し迷うが、勾玉未成品の縮尺で推測すると、現長は約3.2cmとなる。


 (11)兵庫県芦屋市・会下山(えげのやま)遺跡

 会下山遺跡は、会下山山頂(標高200m)から中腹(160m)にかけて存在する弥生時代中期から後期の高地性集落遺跡である。

 竪穴式住居跡16戸や祭祀場、倉庫跡、土壙墓、柵跡などが発掘されている。

 『増補 会下山遺跡』(1985・兵庫県芦屋市教育委員会)に詳細がある。

 ≪漢式三翼鏃は山腹(120m)の山手中学校敷地内の土砂崩れで発見された。
  遺構内より発見されたものではないが、会下山遺跡の伴出遺物と考えてよかろう。(中略)
  これ(鏃身)に三方に翼のついたもので、国内では未だその確実な出土例を聞かず、
  中国・朝鮮などよりはその出土が報ぜられている、殷代以来の骨鏃の発展形式を示す三翼鏃である。≫

 鏃の形状・大きさについては、芦屋市教育委員会が運営するネット掲載の論文が詳しい。

 「芦屋市指定文化財 会下山遺跡出土青銅製漢式三翼鏃」(2007・芦屋市教育委員会)である。

 ≪青銅鏃は、現存の長さ4.4cm、最大幅は1.18cmを測る大きさです。
  長さ3.75cm、径1.0cm弱の断面円形を呈する鏃身に、
  径0.3cm、残存長0.65cmの断面円形に近い茎部を付加させた形式のものです。
  鏃身部には、さらに三角形の各頂点から三方に狭翼が取り付けられ、
  いわゆる三翼鏃の形態をなしています。
  重量は14.3gで、見かけより重いものです。
  昭和30 年代に遺跡の中で採集されました。≫

 本鏃に時期について石野博信氏の記述が「三世紀の日本列島 畿内」にある。

 (1983『三世紀の考古学 下巻』学生社に所収)

 ≪(本鏃は)表面採集品であるため、厳密には所属時期を定めることは難しいが、
  尾根端に散布する土器から(弥生時代)後期前半と考えておきたい。≫


 (12)兵庫県芦屋市・山芦屋(やまあしや)遺跡

 『増補 会下山遺跡』の文末に山手中学校で発見の銅鏃のほかに≪(会下山山麓で他に1例の採集遺物がある)≫と記述がある。

 寺沢薫氏の「中国系青銅器:日本の大陸系青銅器(近畿以東)」にも記述がある。

 (1991・『日韓交渉の考古学 弥生時代篇』所収)

 ≪南麓の山芦屋遺跡で採集された(中略)物がほぼ確実な例である。≫

 両記述が同じ銅鏃についてのものならば、会下山遺跡山麓からもう1点、三翼鏃が発見されていることになる。

 会下山遺跡は、芦屋市三条町にある丘陵とその斜面に所在する。

 山芦屋遺跡の所在地は、芦屋市山芦屋町城山と『増補 会下山遺跡』にある。

 隣同士の町名であり、「芦屋市埋蔵文化財包蔵地位置図」を見ると、三翼鏃発見の山手中学校と山芦屋遺跡は100〜200mの近くにある。

 将来、会下山遺跡群として同一遺跡とされるかもしれないが、とりあえず別の遺跡名がある。

 そこで、会下山遺跡の山麓から2例の三翼鏃を発見とするよりも、私は両者を別々に扱うことにして、この別項をたてた。

 山芦屋遺跡は芦屋川と高座川に挟まれた城山の南麓に位置し、高座川の両岸に遺跡は広がる。

 遺跡からは縄文・弥生・古代の時代の遺物が出土している。

 青銅製の三翼鏃は採集されたもので、発掘調査による出土遺物ではない。

 大きさについての記述は寺沢薫氏の「中国系青銅器:日本の大陸系青銅器(近畿以東)」にある。

 ≪南麓の山芦屋遺跡で採集された長さ3.9cm、(重さ)6.65gのものがほぼ確実な例である。≫

 寺沢氏は註の中で≪加治木義博氏蔵。同氏のご配慮により実査。≫と記載している。

 正式な報告書は出されていないようなので、これ以上のことは不明である。


 (13)島根県出雲市・古志本郷(こしほんごう)遺跡

 古志本郷遺跡は、出雲平野のほぼ中央、神戸川の西岸に位置する。

 弥生時代から近世に至る大規模な集落遺跡である。

 1999年度に行なわれた発掘調査で、K区の遺構の伴わない表土層より三稜鏃が出土している。

 K区からは弥生時代の大溝や竪穴住居、土坑などが見つかっている。

 遺構からは、弥生時代中期〜古墳時代前期の土器や鉄器などが多量に出土している。

 守岡利栄氏の「古志本郷遺跡出土の三稜鏃について」に詳細がある。

 (2002・島根県教委文化財課『島根県文化財愛護協会誌 季刊文化財』第100号所収)

 ≪(出土した三稜鏃は)欠損は無く、良好な状態である。全長4cm。
  鏃身の長さ3cmで横断面は正三角形に近く一つの面にのみ二等辺三角形の小さな穴が見られる。
  基部の断面は鏃身の三角形の各稜を小さく抉り取るような形の鈍い六角形の棒状で空洞は見られない。
  これらの観察から大陸で作られた製品である可能性が高い。≫


 以上の他に、鳥取県湯梨浜町長江で三稜鏃が見つかっているらしい。

 寺沢薫氏の「中国系青銅器:日本の大陸系青銅器(近畿以東)」に記述がある。

 (1991・『日韓交渉の考古学 弥生時代篇』所収)

 ≪福井県坂井郡内出土の1例は出土状況がより不明な表採品だが、
  鳥取県羽合町長江例など日本海沿岸の例もあるので無視できない。≫

 寺沢論文を参考にして、吉留秀敏氏が「福岡市クエゾノ遺跡採集の中国製銅鏃について」で記述している。

 (『古文化談叢』第27集 1992・九州古文化研究会 所収)

 ≪福井県坂井郡内と鳥取県羽合町長江から三角鏃の出土例が報じられているが、未報告であり詳細は不明である。≫


   (以下 次号)


  写真 18:神水遺跡・両翼鏃(1986『神水遺跡発掘調査報告書』 より)

  挿図 19:神水遺跡・両翼鏃の実測図(1986『神水遺跡発掘調査報告書』 より)

  挿図 20:角山遺跡・三翼鏃の実測図(2005『香川県埋蔵文化財センター研究紀要T』 より)

  挿図 21:窪木遺跡・三稜鏃の実測図(1991『総社市埋蔵文化財調査年報1』 より)

  写真 22a:会下山遺跡・三翼鏃(ネット「芦屋市立美術博物館 土器どき芦屋の物語」 より)

  写真 22b:会下山遺跡・三翼鏃(ネット「六甲山系ごろごろ岳 漢人の磐座」 より)

  挿図 23:会下山遺跡・三翼鏃の実測図(ネット「芦屋市指定文化財 会下山遺跡出土青銅製漢式三翼鏃」2007 より)

  写真 24:古志本郷遺跡・三稜鏃(2002『島根県文化財愛護協会誌 季刊文化財』第100号 より)

  挿図 25:古志本郷遺跡・三稜鏃の実測図(2002『島根県文化財愛護協会誌 季刊文化財』第100号 より)


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