正月の少し酩酊の状態で、「魏志倭人伝」をみる。特にしっかり読んでいる訳ではなく、眺めていた。
≪倭人は帯方の東南、大海の中に在り。
山島に依りて 国邑を為す。……≫”倭人は帯方郡からみて東南方向に住んでいるんだ、これだけで南のジャワ・スマトラ島説はだめだな。
まして、エジプト説は問題外になる。
もっとも、ほとんどの人はこれらの説に、触れてもいないか。
九州全体は東南よりちょっと南寄りか、ずばり東南は大分だなぁ。
すると、近畿は東南というより、東南東だ。でも大まかには東南かな。……”妄想には終わりがない。
”大海とあるけど、対馬海峡が中国から大海に見えるのだろうか。
それとも、魏の時代に倭の東に太平洋が広がっていることをもう認識していたのだろうか。……””山島ってなんだろう。確か広辞苑には山島という熟語はないと思ったけど。
山と島では対の言葉にならないし、山がちの島とでも言っているのだろうか。
壱岐は島だけど、一番高い山が展望台のある岳の辻、その標高が212.8mと観光パンフレットにある。
東京タワーよりも低い。山がちとはいいにくいなあ。……””国邑は昔、岩波文庫ではクニとムラと解説されていた。
いまはひとつの熟語として読まれることが多いみたいだ。
宮城谷昌光の小説では邑にマチとルビがついている。
日本書紀には「邑に君あり、村に長あり」とあるらしい。”ほかの人にはどうでもいいようなことが、気になってしょうがない。
頭のなかはもうメチャクチャ、まとまりがつかない。
そのうちに、これらの言葉を読み込んで和歌みたいに七五調にまとめられないか、関心は脇道へ逸れる。
試行錯誤の結果、こんなものが出来た。
山を駈け 大海めぐり 国邑を
望むこころに 会は栄えん会とは私がお世話になっている「邪馬台国の会」のことである。
私の思いを解説をすると以下のようになる。
日本列島を駆けめぐり、邪馬台国の所在もとめて、熱き心で活動すれば、
「邪馬台国の会」の会員は増え、講演も活気に満ち溢れる。わが「邪馬台国の会」は永久に不滅です。
魏志倭人伝の冒頭にでてくることばを使ってうまく纏まったとひとり喜んでいる。
それにこの一首の各句をかなで書き、その頭の1〜2文字をならべるとこうなる。
やま(山)、たい(大)、こく(国)、の(望)、かい(会)
邪馬台国の会
研究に、一生懸命取り組むのも大事だけれど、たまには生き抜きもいいでしょう。
妄想のなかで、ちょっと遊んでみました。
七重の膝を八重に折り、本年もご愛読のほど、すみから、すみまで、ズズズイットウーー、オン願い申しあ〜げ奉りまする。
写真:風雨のなか、海上からみた壱岐の最高峰、岳の辻(赤矢印)。(館長撮影)
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