先月、上野の東京国立博物館に特別展「キトラ古墳壁画」を見に行った。
3年前に奈良へ行った時に、私は高松塚壁画館と明日香村埋蔵文化財展示室で、それぞれの模写を見ている。
両方の展示場には、それぞれの古墳の石室が原寸大に造られていて、壁面に発見当時の壁画が描かれている。
壁画の彩色に感激するより、石室の狭さ、壁画の小さいのに驚いたことをおぼえている。
今回の展示会は、壁面から剥ぎ取った実物が見られるという。
しかも、現地以外での展示は最初で最後?という、現地でも当分は見られないらしい。
これを逃すともう見られないかもしれない。
そんなわけで、見ておこうと、軽い気持ちで出かけて来た。
会場入口は長蛇の列、一時間ほど待たされて展示場にやっと入る。展示には四神の陶板複製、模写、実物とあり、至れり尽くせりである。
高松塚古墳の壁画模写まである。
陶板製のレプリカは、水分やカビに痛めつけられて漆喰が浮き上がっている取り出し前の姿をみごとに再現している。
これが陶製とは、信じられないほど見事である。
模写も細部にわたって描かれてすばらしい。
博物館の展示は、この模写で充分なほどである。
それはともかく、本編には国立博物館のホームページにある実物の四神の写真を掲載する。
それぞれの説明と線図は、来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)による。
来村本は、高松塚とキトラ古墳の四神の謎から画家、両古墳の新旧などをテンポよく解き明かしていく。
読み始めると引き込まれるように読み通した。この本は名著である、と私は思う。
まず、四神の役割について。その手がかりは、中国歴史博物館所蔵の王莽時期の方格規矩鏡の銘文にみられる。
「左龍右虎掌四彭」「朱爵玄武順陰陽」の二句である。
≪銘文の「左側に添う青龍と右側に添う白虎が四彭(四方を)掌(つかさど)る」と言う表現は、
四神の中でもこの二匹が守護神として頼られていたことを物語る。
その一方、「朱雀と玄武が陰陽にしたがう」という表現は、朱雀が陽気を放つ天に昇り、
玄武が陰気の宿る地に踏ん張るというイメージを感じさせる。≫来村氏は四神の三つの任務をあげる。
≪(1)構成力:陰陽五行説に基づく空間をつくり、被葬者をその中央に浮かせる。
(2)結合力:二十八宿などと連携して天体となる天井と大地となる墓室を結び付ける。
(3)推進力:朱雀と玄武が進行方向を示し、青龍と白虎が脇を固めて上昇させる。≫つぎに氏はいう。≪壁画は寝転がって見るもの≫
来村本には、石室を床から眺めた画面を四方に展開した図が掲載されている。
図中に、被葬者の頭部の位置が示されている。(中が斜線の丸印)
読者は仰向けに寝ころび、自身の頭を被葬者に合わせ、本を上に揚げて壁画を見る。
この方法によって、はじめて壁画世界を正しい位置から鑑賞できるという。
私は著者に従ってやってみた。なるほどである。
頭上の玄武は蛇をにらむため、頭を東にむけている。
その目の先の東壁には青龍がいて、南の朱雀を見る。
朱雀は西壁の白虎を見る。
白虎は玄武に向き、四神は一周する。
キトラの白虎が高松塚の白虎とは逆むきであることに異と指摘するひとがいる。
しかし、この配置は、四神が被葬者から見て螺旋を描くように回転するように描かれていることがわかる。
天上へ向けて被葬者の魂を導くために描かれているのである、と来村氏は解釈する。
では、逆に高松塚の白虎の向きが不自然かというと、人物群の顔の向きをみるとすべて白虎と同じ石室の入口の方を向いている。
こちらは、死者の魂を外へいざなう一連の流れを作り、出行図になっている。
古墳の壁画は、ひとつひとつの観察も大切であるが、いかなる思いの元に構成されているかを読むことも大事であるとわかる。
玄武は、北壁にあり、五行思想では色は黒(玄)、季節は冬となる。
来村氏は亀の左前足の付け根にある三日月形をした奇妙な膨らみに注目する。これはなにか?
高松塚の玄武にはないものである。
氏は中国に諸例を求め、亀の腹甲であることを見つける。こんなものにも意味があると知る。
また、亀と蛇が睨み合う理由を探る。
亀が水草を加えた玄武紋甎(レンガ)を前漢武帝の茂陵にみつけ、解明する。
亀が万年も生きる仙薬として水草をくわえ、長生きではない蛇にその水草を狙わせ、不老不死の仙薬を強調しているという。
キトラの亀ではその仙薬の水草が略されているのである。
不思議な構図も解明されると納得である。
青龍は東壁にあり、色は青、季節は春となる。青春という言葉はここからきている。
キトラの青龍は頭部と前脚がのこるだけであるが、その全体像は高松塚の青龍からわかる。
青龍の背筋に赤い焔が描かれていることをどれだけのひとが意識しているだろうか。
焔は背鰭や翼が変化した物といわれるが、元来はその焔の根元に内蔵された宝珠があるという。
キトラや高松塚では、もはや宝珠は失せ、赤い焔だけが青龍の縁取りとして残っている状態だという。
ここにも省略がみられる。
来村氏は青龍に首輪があるという。しかも青龍を制御するためのものという。
たしかに青龍の頚部に、×紋様の施された太い帯がある。
この帯は、「×文様頚飾」と命名されている。
中国では四神や鳳凰の類に普遍的にみられるものらしい。
≪自然界で幅を利かせる禽獣を制御することは、自然を制御することの寓意でもある。
大袈裟に解釈すれば、禽獣の頚飾は「自然をコントロールできる」という
「人の驕り」が生み出した紋様であるといえるのだ。≫驚きである。いままで全く気が付かなかなった。
朱雀は南壁にあり、色は赤、季節は夏を表す。
キトラの朱雀は秀逸である。
朱雀全体が残されていたのは、高松塚で苦労した盗掘者の反省によるものと、来村氏は看破する。
つまり、キトラ古墳と高松塚古墳の盗掘者は同一グループと、氏は推理している。
盗掘の状態で、そんなことがわかるらしい。これも驚きである。
朱雀の原型は孔雀で、飾り羽にならぶあやしげな紋様は流雲という。
朱雀図にはヘラ描きの跡が残っているが、画家は下描きの線にかまうことなく飾り羽の曲線を引いていると氏は指摘する。
私も、下書きの線は拡大映像で確認した。
≪迷いのない筆で描かれた迷いのない表情は天を目指して真っ直ぐに飛び立つ朱雀の強い意志を見るものに感じさせる。
朱雀は天界への道案内だとする観念が古代中国にあるが、
これほどの意志をもった朱雀ならば安心して先導を任せることができるだろう。≫
白虎は西壁にあり、色は白で、季節は秋である。
キトラの白虎は高松塚の白虎と向きが逆であるが、そのわけは前述した。
向きは逆でも両者は左右を反転すればほぼ同じデザインである。
両者を詳細に比べると、高松塚の白虎にかなりの省略がみられる。
斑紋、両翼の線、尾のねじれ、足の指の線などである。
よって、来村氏は両者の新旧をキトラ古墳が古いと判断している。
壁画からも古墳の新旧が検証できるとはすばらしいことである。
壁画には、ほかに天文図、十二支像があるが、略す。日輪、月輪のみ触れる。
日輪は天上石の東側傾斜面に、月輪は西側の傾斜面に描かれている。 高松塚古墳の天上石は平坦であるが、キトラ古墳では屋根にあたる傾斜面が四方にある。
これもなかなか気が付かない。第4図の展開図にはしっかり描かれている。
日月の下の平行線と三角は、雲海に浮かぶ山岳か、海原に浮かぶ島嶼を描いている。
日輪は金箔のため盗掘者にはがされ、月輪は銀箔のためついでにはがされたらしい。
日輪には八咫烏、月輪にはウサギとカエルが描かれることが多い。
馬王堆前漢墓出土のT字形帛画でも有名である。
キトラの日輪、月輪の残された部分をよく見ると図の一部がかろうじて残っていることがわかる。
日輪では、カラスの尻尾と左翼の先端が見える。
月輪では、臼の高台、白兎の右脚、カエルの右脚、桂の根樹がわかる。
残念ながら、実物では気が付かなかった。
展示品には、壁画のほかに、出土した副葬品がある。盗掘されているので、その数は少なく、小物や断片ばかりである。
ただし、その質は高い。
ガラス玉、銀製環、金銅製六花形飾金具、金銅製鐶座金具、鉄地銀張金象嵌帯執金具、
銀製鞘口金具、刀身、銀製鞘尻金具などである。
展示場をでると、表慶館で42インチの画象で、壁画を拡大して見せてくれるという。
ここで、朱雀の下書き線や実物ではほとんどわからなかった十二支像の赤い襟や持ち物が確認できた。
科学の力はすばらしい。
期待以上の充足感を得られて、帰路についた。
写真 1:「特別展 キトラ古墳壁画」のポスター(ネット「特別展 キトラ古墳壁画/2014年…」より)写真 2:キトラ古墳壁画の陶板複製の展示場(ネット「キトラ古墳の壁画が…ハイフィントンポスト」より)
写真 3:中国歴史博物館所蔵の方格規矩鏡銘文の一部(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より作成)
写真 4:キトラ古墳の壁画展開図(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 5:キトラ古墳の玄武図(実物)(ネット「特別展 キトラ古墳壁画/2014年…」より)
写真 6:キトラ古墳の玄武図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 7:キトラ古墳の青龍図(実物)(ネット「特別展 キトラ古墳壁画/2014年…」より)
写真 8:キトラ古墳の青龍図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 9:キトラ古墳の朱雀図(実物)(ネット「特別展 キトラ古墳壁画/2014年…」より)
写真 10:キトラ古墳の朱雀図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 11:キトラ古墳の白虎図(実物)(ネット「特別展 キトラ古墳壁画/2014年…」より)
写真 12:キトラ古墳の白虎図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 13:日輪の八咫烏図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 14:キトラ古墳の日輪図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 15:キトラ古墳の月輪図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 16:月輪のウサギ、カエル、桂樹図(線図)(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)
写真 17:キトラ古墳の副葬品の展示場(ネット「キトラ古墳の壁画が…ハイフィントンポスト」より)
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