4/18に自身の愛蔵書を邪馬台国図書館にたくさん寄贈してくれた櫻井君から、5/13に再び多くの書籍が送られてきた。前回の分とあわせて、200冊を越える。感謝、感激である。
『大阪府史第一巻古代編T』、『新修大阪市史第一巻』、『新修大津市史第一巻古代』、『 羽曳野市史第一巻本文編1』など入手困難な貴重な本が多くある。
詳細は[大口寄贈本 一覧]を参照。
邪馬台国図書館の蔵書の質量がとも高まり、とてもありがたい。
いただいた書籍類を活用しなければと、その分、責任の重さを感じる。
寄贈本のなかに、彼の新著『能登国・延喜式名神大社 気多神社考』がある。第53号で紹介した『気多祝(けたはふり)の源流』に続く、彼の労作である。
彼はいう。
≪気多(けた)神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)をまつる。
出雲に生れた大己貴命(大国主命)は、少彦名命とともに出雲国気多岬、
因幡国気多岬、但馬国気多郡をへて、海路をたどり、能登半島に遠征した。
目的は、越の国に聞こえる才色兼備の奴奈川媛に求婚するためだと伝えられる。≫気多神社は、延喜式神名帳にある『神宮』号をいただく七社のひとつである。
ちなみに、七社は、伊勢、石上、出雲、八幡、気比、閼宗、気多である。
能登に至った大己貴命は、その地にひそむ大蛇を退治して、住民の信頼を得る。
気多大社に残る『由来記』(1685)にあるはなしである。
気多神を仲介役にして、大己貴命は越の奴奈川媛と婚姻関係を結ぶ。
彼は各地に残る気多の地名・神社名を調べる。
式内社の6社をはじめ、神社では13社を訪ねる。
地名では、出雲の気多嶋をはじめ数ヶ所を巡る。
彼は考察する。
≪気多の地名・神名は、出雲の気多嶋が最も西端に位置し、
いずれの神社も祭神は大己貴命(大国主命)である。
気多は、対馬海流の流れに従って、海岸沿いに因幡国(鳥取県)の岬となり、
ここで大国主命と因幡の素ウサギの伝説が作られる。
さらに東進し、丹後半島円山川中流域に気多郡がおかれ、気多神社が鎮座する。
ヤマト王権が樹立される以前は、出雲と連携をした気多の小王国がここに誕生した痕跡だと考えられる。
出雲の大己貴命を盟主に仰ぐ気多族は、丹後半島から海路を帆走し、
一気に能登半島の千里(塵)浜に上陸した。(略)
そこに気多神社は北陸鎮護の神として祀られることになった。(略)
出雲国の大己貴命(大国主命)は、連帯する気多族を率いた第一次遠征の足跡を
気多の神名・地名に残した。≫
記紀に記されている大己貴命(大国主命)の活躍範囲を、気多の地名、気多神社の分布という独自の方法で検証したことは、すばらしい。各地の気多神社を訪れ、気多の地を踏破する彼のエネルギーに感服する。
これに各地神社創建の時代の確定や、考古学的な考察が加われば、一層確かな検証なりうると思われる。
一個人がゆかりの地を巡り、世に埋もれていた断片を捜し求め、壮大な古代史の一頁を構築する。
なんとすばらしい痛快事であることか。
櫻井君のさらなる探求の深まることを期待したい。
本書『能登国・延喜式名神大社 気多神社考』は、このあと、気多神社の神職である櫻井氏の家系に及ぶ。また、不詳であった大宮司櫻井家の系譜の復元、明治黎明期の日本の化学研究の第一人者の櫻井錠二氏が自身の祖先と縁続きあったというにつながる話、戦国時代末期に勧請された武蔵国の気多神社へと展開する。
彼の執筆は留まるところを知らない。
随所に、彼の緻密な考証が光る。
多くの方に、ぜひ読んでいただきと思う。
『能登国・延喜式名神大社 気多神社考』を御覧になりたい方は、当図書館に貸し出し申し込みをどうぞ。
著者に直接申し込まれれば、実費(\1500+税)で入手できるかもしれない。
写真 上:櫻井正範『能登国・延喜式名神大社 気多神社考』(2014・私家版)。
表紙にある山桜紋は、気多神社の神紋であり、櫻井社家の家紋でもある。挿図 下:気多の勢力圏(『能登国・延喜式名神大社 気多神社考』より。一部改変)
櫻井君の経営する喫茶店のホームページ「珈琲と真空管の音 East Side」櫻井君の活動が新聞記事にある。彼のブログ「団塊の越し方行く末」に紹介されている
「気多大社ゆかりの桜井氏子孫が墓参」(北國新聞・2014.6.10)
「桜井家の子孫が気多大社を参拝」(中日新聞・2014.6.10)
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