館長だより 第54号
館長だより 第54号

館長の見聞録(26)

2014/05/18

   ☆ 山陰古代史の旅(その8)

 妻木晩田遺跡から少し戻ったところに、伯耆古代の丘公園がある。

 車から見張り台のような復原建物がみえる。

 ちょっと気になったので寄ってみる。

   (22) 伯耆古代の丘公園(鳥取県米子市)

 公園内はいくつかのゾーンに分けられている。

 古代ハスの園、弥生村、万葉の園などである。

 見張り台と思えた建物は弥生村にあり、そこには復原された竪穴住居もある。

 また、葺き石が施された古墳時代中期の帆立貝式古墳もあり、周囲には埴輪が飾られている。

 そこそこの復原施設があり、古代の様子を現しているが、説明がはっきりしない。

 これらの復原物が、実際の遺跡の物なのか、イメージなのかがよくわからなかった。

 道路をはさんだ向い側の小台地の上に、向山(むこうやま)古墳群がある。

 こちらは間違いなく遺跡の古墳で、説明板がある。

 ≪6世紀を中心に築かれた古墳群で、前方後円墳が8基あり、当時の有力な人々の王墓群と考えられています。≫

 中で一番大きいのが、向山4号墳である。古墳の横に説明板がある。

 ≪向山丘陵の最も高い位置に所在するこの古墳は、全長64.5m、
  後円部37.5m・高さ10m、前方部幅28mを測る前方後円墳で、
  向山古墳群の中で最大の規模を誇ります。
  くびれ部の東側と前方部の南側に台状造出を設け、
  二段築成(後円部)の墳丘には葺き石が巡らされていました。
  須恵器、円筒埴輪、形象埴輪(動物)、鉄鏃などが出土し、
  5世紀末〜6世紀初め頃に造られたものと考えられます。≫

 上に登って、古墳を見る。

 雑木林のなかに連なって古墳がある。

 説明は詳しいが、整備が余りされていないので形がよくわからない。

 なんとも、気持ちが不完全燃焼である。

 これ以上留まっていてもあまり意味がないので、つぎへ移動することにする。

 その夜、ホテルで伯耆古代の丘公園のことを調べて驚いた。

 向山古墳群のある小台地を越えて向こう側に少しいったところに上淀廃寺があるではないか。

 行けば、発掘された壁画が見られたはずなのに……。

 また、近くに九州以外ではここでしか発見されていない石馬が飾られていた石馬谷古墳がある。

 なんとも残念なことをした。

   (23) 上淀廃寺跡(鳥取県米子市)

 実際には行かなかったが、調べた記録だけでも記す。

 ≪上淀廃寺(かみよどはいじ)跡は奈良時代の初め(7世紀終り頃)に建てられた寺院で、
  平成3年から行われた発掘調査によって金堂跡から、粘土で造った仏像の破片とともに、
  法隆寺とならぶ国内最古級の仏教壁画が発見されました。
  当時の地方寺院としては、最大規模の寺院で、金堂の東側に、
  南北に3塔が配置された独特の伽藍配置が確認されました≫
  (パンフレット「国指定史跡 上淀廃寺跡」より)

 遺跡には、金堂基壇や塔遺構が復元され、往時の壮大さを体感できる。

 上淀白鳳の丘展示館には復元された如来像、壁画、塑像片などが展示されている。

 壁画断片は5,394片を数え、その1/3に彩色があるという。

 描かれているものは、神将・神将の胸甲・菩薩・天蓋などがあり、釈迦の説法図が想定される。

 ほかに花・頭光背・蓮の台座などもある。

 上淀廃寺のようすがわかればわかるほど、ぜひとも行きたい。

 やはり、もう一度いかなければならない。あ〜あ。


   (24) 石馬谷古墳と石馬(鳥取県米子市)

 上淀廃寺跡の南側近くの山裾に石馬谷(いしうまだに)古墳がある。

 ネットの「古墳マップ・石馬谷古墳」、「石馬谷古墳と石馬」、「とっとりの名宝を訪ねて」などから作文する。

 ≪石馬谷古墳(小枝山5号墳)は、全長61.2mの前方後円墳で、
  後円部径34.5m、高さ7m、前方部幅20m、
  後円部は2段築成で葺石・埴輪(円筒・朝顔形)を備える。
  未調査のため埋葬施設は不明だが、埴輪などから古墳時代後期中半(6世紀中半)に築造されたと考えらる。
  この古墳で見つかったとされる石馬は本州では唯一の発見例となっており、
  国の重要文化財に指定、現在は、米子市淀江歴史民俗資料館に展示されている。
  石馬は、大山の角閃石安山岩を丸彫りしたもので、全長150cm、高さ約90cm。
  円筒形の後脚は残っているが、前脚は欠けている。
  たてがみ、目、耳、鼻、口などのほか、馬具の轡、手綱、鞍、鐙などが浮き彫りされている。
  一部に赤色顔料が残っている。
  なお、石馬谷古墳からは、裸の石人の下半身とみられる石造物も見つかっている。
  石馬と石人が両方とも見つかったのは、石馬谷古墳と九州の岩戸山古墳だけである。
  古墳時代における九州北部と鳥取県西部との交流の一端をうかがい知る貴重な資料である。≫


 この地区は、徒歩で巡れる範囲に弥生時代の妻木晩田遺跡、古墳時代の向山古墳群・石馬谷古墳、飛鳥時代の上淀廃寺跡が隣接している。

 鳥取県西部を「千年の時を刻んだ郷」と呼ぶ所以がここにある。

 行き当たり方式の旅も愉しいが、もう少し下調べをすべきだったと悔やまれる。



  写真 1:伯耆古代の丘公園の復元高床建物、高さ15m(館長撮影)

  写真 2:伯耆古代の丘公園の弥生時代の復元竪穴住居(館長撮影)

  写真 3:伯耆古代の丘公園の復元帆立貝式古墳(館長撮影)

  写真 4:向山7号墳、円墳または方墳、全長20m(館長撮影)

  写真 5:向山4号墳、前方後円墳(パンフレット「向山古墳群」米子市教育委員会より)

  写真 6:上淀廃寺跡出土の壁画片の神将(パンフレット「上淀廃寺跡」米子市教育委員会より)

  写真 7:上淀廃寺跡出土の壁画片の花(パンフレット「上淀廃寺跡」米子市教育委員会より)

  写真 8:上淀廃寺跡出土の壁画片の菩薩(パンフレット「上淀廃寺跡」米子市教育委員会より)

  写真 9:上淀廃寺跡出土の壁画片の神将の胸甲(パンフレット「上淀廃寺跡」米子市教育委員会より)

  写真 10:石馬谷古墳、左側が前方部(ネット「石馬谷古墳 - 古墳とかアレ」より)

  写真 11:伝石馬谷古墳出土の石馬(リーフレット「古代びと千年の記憶」より)

  写真 12:石馬谷古墳出土の石人(ネット「とっとりの名宝を訪ねて」より)

  写真 13:参考写真、福岡県八女市・岩戸山古墳の石馬(ネット「とっとりの名宝を訪ねて」より)


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