横浜市歴史博物館で開催されている企画展「海へこぎ出せ! 弥生人」を見てきた。弥生時代といえば、まず稲作文化を思うが、日本は四方を海に囲まれた海洋民族の国である。
丘の上のムラからでも目の前に海が見える。海へこぎ出さないわけがない。
弥生人が海に積極的に関わっていたことが、展示からよくわかる。
展示品の数は、さほど多くはないが、焦点を絞り内容が充実している。
まず目に入るのが、大小の舟群を線刻した絵画板である。
鳥取県の青谷上寺地遺跡から出土したものである。
5〜6艘で囲い込み漁をしているのか、あるいは、船団を組み大海原に漕ぎ出し、交易に出かけたのであろうか。
想像が膨らむ。
水田と集落遺跡で有名な登呂遺跡から出土した丸木舟も展示されている。
登呂遺跡の丸木舟は知らなかった。
もっとも、この舟は池や沼など波の静かなところで使われていたらしい。
展示品のなかで、「魏志倭人伝」につながるものが二つあった。ひとつは、鹿角製のアワビオコシである。
≪好んで魚鰒を捕らえ、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。――好捕魚鰒水無深浅皆沈没取之≫
「鰒」はアワビのことである。
これは末盧国のところに出てくる。
アワビオコシは縄文時代から使われているが、弥生時代のものは、刃部の位置が縄文のものとは違うという。
文化の系統が異なるのか、興味深い。
もう一つは、卜骨である。
≪その俗挙事行来に、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。――其俗挙事行来有所云為輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜≫
こちらは倭人の習俗についてのところに出てくる。
展示会のパンフレットに卜骨の説明がある
≪弥生時代の卜骨は、壱岐・対馬から北海道南部で出土しています。
卜骨で占われたのは、稲作の豊凶や天候、戦争の勝敗など多様なものとみられます。
漁具と卜骨が同じ遺跡から出土している事例では、漁の豊凶や航海の安全など海に関わる事柄が占われていた可能性は高いでしょう。≫「魏志倭人伝」に書かれているものが実際に弥生時代の遺跡から出土している。
なんと素晴らしいことか。うれしくなる。
最後のコーナーに、刃物による傷痕のある人骨が展示されている。
九州や山陰から多数出土していることは周知のことであるが、神奈川県・三浦半島の大浦山洞穴からも傷を受けた人骨が出ている。
安易に「倭国大乱」を連想すべきでないと思うが、凄惨な光景が繰り広がられたことは容易に想像される。
海に係る遺物からもこれだけ多くの弥生時代の姿が見えてくる。
新鮮なおどろきに、興味が深まる。充実した時間を過すことができた。
とても満足した一日である。企画に苦労された方々に感謝。
写真上:企画展「海にこぎ出せ!弥生人」のチラシ(会期 2012.4.7〜5.27)挿 図:青谷上寺地遺跡出土線刻絵画板の模写図。長さ73.2p、弥生中期。
線刻画の一部がうまくチラシに使われている。(「横浜市歴史博物館 NEWS」32より)写真中:福島県・薄磯貝塚出土の骨角器。上部中央がアワビオコシ(同上)
写真下左:青谷上寺地遺跡から出土した卜骨(ネット「とっとり弥生の王国の謎を探る」より)
写真下右:刃物傷を持った人骨(矢印部) 青谷上寺地遺跡出土(ネット「縄文と古代文明を探求しよう!」より)
|