館長だより 第45号
館長だより 第45号

館長の見聞録(21)

2014/01/19

   ☆ 山陰古代史の旅(その3)

 つぎに行くのは、今回の旅行のメインのひとつである出雲大社である。

 訪れた去年は、出雲大社で60年毎におこなわれる式年遷宮の年である。

 きれいに改修された出雲大社の本殿がどんな姿かとても愉しみである。

  (10) 古代出雲歴史博物館(島根県出雲市)

 駐車場の都合で、出雲大社の東隣りにある古代出雲歴史博物館に先に寄る。

 博物館に入ると、中央ロビーに宇豆柱(うずばしら)がある。

 2000(H12)年に発掘された本物の巨大柱が展示されている。

 一昨年、東京国立博物館での「出雲」展で見てはいたが、やはりその巨大さには圧倒される。

 1本の直径が約1.35mの杉の丸太3本をひとつに束ね、全体で直径約3mの巨大柱を形づくっている。

 出雲大社宮司の千家国造家に伝わる「金輪御造営差図」(かなわのごぞうえいさしず)の絵図とそっくりである。

 巨大本殿の遷宮次第を記した「杵築大社造営遷宮旧記注進」には、1110年、巨大柱100本が稲佐の浜に流れ着いたという記録もあるという。

 杵築大社とは、出雲大社の旧名である。

 これで高層の本殿建築が現実味をおびてきた。

 驚きの智恵、技術である。

 ただし、この柱の杉材は科学分析調査により鎌倉時代前半ころの伐採樹木とされている。

 つまり、中世の出雲大社の柱が巨大だったことがわかったのである。

 古代の本殿が高かった可能性は高まったが、まだ確定というわけにはいかない。

 学問の検証は時としてまどろっこしいが、いたしかたない。


 その日、博物館では企画展「山陰の黎明 −縄文のムラと暮らし−」が開催されていた。

 そのキャッチコピーは、「縄文に、どきっ Doki!」である。

 コピーに魅かれて、企画展を先に見る。

 部屋に入ると、国宝の火焔土器が見学者をむかえる。

 実用を超越した造形に圧倒される。

 日々の生活に苦労していたであろう縄文人がこれほどまでに躍動感のある土器を作り上げていたことが驚きである。

 世界最古級の土器といわれる草創期の土器もシンプルななかに細かい紋様が施されもう土器として完成している。

 8000年とも13000年とも続いたといわれる縄文時代のエネルギーを肌で感じる。

 土製仮面・岩偶・土製耳飾・鹿角製腰飾りなど写真でしか知らなかった至宝が目の前にある。

 予期せぬ遭遇に大満足!


 つづいて、常設展示を見る。

 出雲大社の復元模型が並んで展示されている。

 平安時代の出雲大社本殿の1/10の復元模型がある。

 長い白木の引橋を上っていく白装束の神官が印象的である。

 となりに建築学者による5基の1/50の本殿復元模型がある。

 本殿の高さ16丈説を積極的に認めて復元したものや批判的なもの、階段を長くしたものや短いものなどがある。

 それぞれの根拠、苦労がわかり、とても興味深い。

 現代を代表する研究者によっても、これほどちがいがあるのだから、古代本殿の復元はこれで決定というわけにはいかない。

 読む知識よりも、見る展示のほうが直接訴えてくる。この方が記憶に残る。

 実物がある。模型がある。図面がある。どうも納得してしまう。

 それ故見学者は、目の前の模型はひとつの提案であることに留意しなければならない。

 いまの博物館は、智恵を絞り、予算を掛け、手間をおしまない。

 博物館の学芸員の方々の熱意は伝わってくる。


 常設展示の圧巻は荒神谷遺跡出土の358本の銅剣である。

 壁一面に銅剣がならぶ。

 そして、加茂岩倉遺跡の銅鐸群である。

 スポットライトにうかぶ特異の銅鐸紋様。

 国宝が400点以上にもおよぶ大展示である。

 銅剣に刻まれた×印を探す。銅鐸の鈕にある特異な顔を見つける。

 現場で見られなかった景初三年銘の三角縁神獣鏡もここにある。

 しっかりと三年を確認してきた。

 なんと贅沢な愉しみであることか!!

 展示品で個人的に注目したのが、土笛である。

 神話の国の出雲で土笛の出土が多いという。

 図録の『展示ガイド』に解説がある。

 ≪土笛は弥生時代前期に日本海沿岸の各地で使われた楽器です。

  特に松江市の西川津・タテチョウ遺跡では50点以上が出土しており、土笛のメッカともいえます。≫

 土笛がそんなに偏った分布をしているとは思わなかった。

 これは、大国主命の勢力範囲と関係するのだろうか?

 土笛は中国では陶けん(けん=土偏に員)とよばれ、中国江南地方が起源といわれている。

 弥生文化の原流が江南にあるといわれているが、土笛もその一例ともいえるかもしれない。

 ただし、干欄式建物や倭人の弓などのように畿内やもっと東に伝播しなかったのはなぜだろう?

 ちょっとおもしろいテーマになりそうである。

 もうひとつ、日本には伝わっていないという弩(ど・いしゆみ)の木製部分の一部が出雲市の姫原西遺跡で出土している。

 弩は秦の兵馬俑で青銅製が出土しているのが有名である。

 日本の戦国時代に普及した火縄銃と同じ意味を持つほどの新兵器である。

 この館に展示されていればぜひ見たいと思っていたが、うっかりその時は忘れてしまった。

 いまだに展示されていたかどうかも判然としない。痛恨の極みである。

 神話の部屋では、映像上映があったが時間が押していたので、割愛をした。これも残念である。

 次回を期したい。

  (11) 出雲大社(島根県出雲市)

 出雲大社でとにかく圧倒されるのは拝殿に飾られている巨大なしめ縄である。

 しかも、他の神社のしめ縄とは逆方向によじられている。

 しめ縄にはもともと結界を示す意味があるという。

 大国主命のたたりを恐れるかの如くに、強力に閉じ込めるためにここまで大きくしてしまったのだろうか。

 妄想に取りつかれる。

 まずは、拝殿で作法にしたがって二礼四拍手一礼で参拝をする。

 ここでは、なぜ二拍手でなくて四拍手なのだろう。

 大国主命は、日本中の八百万の神々が集まる神の中の神だから敬意を込めて通常の倍返し?で手を叩くのだろうか。

 ちょっと調べてみたら、大分の宇佐神宮も新潟の弥彦神社も四拍手である。

 その上、伊勢神宮では神官が祭祀の時にのみ四礼八拍手一礼という参拝をする。

 この八拍手は四拍手を2度繰り返す八開手(やひらで)という作法らしい。

 神社の参拝作法にもいろいろあって奥が深い。

 参拝の作法についてはネット「西野神社社務日誌」に詳しい。

 今回の式年遷宮では大改修のあいだ、この拝殿が大国主命が祀られた仮殿となっている。

 平成20年4月に遷り、平成25年5月に戻っている。

 ところで、伊勢神宮の御神体は八咫鏡(やたのかがみ)といわれているが、出雲大社の御神体はなんだろう?

 岩、七宝の筥(はこ)、九穴の鮑、大蛇、鏡といろいろ説はあるらしいが、誰も見ていないのでわからないらしい。

 隠されるとかえって見たくなる。でも、知ってはいけないタブーらしいのでいたしかたない。

 拝殿の次はその横を通って、八足門へまわる。少し本殿に近づく。

 八足門の前には、敷石の上に宇豆柱の発見された場所に実物大の図が施されている。

 なるほど、大きい。神社の配慮がうれしい。

 八足門でも作法に従って参拝をする。

 新たに葺き替えられた檜皮葺(ひわだぶき)の美しい本殿を望む。

 本殿は、「大社造り」と呼ばれ、日本最古の神社建築の様式である。

 屋根の棟には、大きな千木(ちぎ)と勝男木(かつおぎ)三本が雄々しい。

 背景に広がる八雲山も不思議に神々しく感じる。

 次は本殿の横に移り、瑞垣(みずがき)の板塀越しに本殿を西側から見る。

 ここにも参拝施設がある。しかも大勢の人が列を作り順番を待っている。

 係りのひとの声が聞こえる。

 本殿の御神座にお祀りされている大国主大神さまはこちらの西側に向いていらっしゃるので、ここからは正面でお参りができます。

 こころなしか声が誇らしげに聞こえる。

 出雲大社では、ご祭神を参拝するのに3回もかかるということになる。

 出雲大社もなかなかの商売人だなあ。あたりから聞こえたような気がする。いや、空耳だろう。

 大改修された本殿を初め、いくつかの社殿を見ながら瑞垣に沿って一周をした。

 すばらしい。実にすばらしい。葺き替えられた桧皮葺の厚さは1mもあるという。  神社の屋根の葺き替えがいま出来るのも、日本の伝統技術が多くの匠に脈々と受け継がれている賜物であろう。

 次に本殿の西隣にある神楽殿へいく。

 ここにも拝殿を越えるほどの巨大なしめ縄が架けられている。

 出雲はよほど巨大なものが好きらしい。

 柱に、社殿に、千木に、しめ縄、何から何まで大きいものばかり。

 国を縄で引っ張ってくるくらいだからむりもない、か。

 帰りの参道を歩いて気がついた。上り坂である。

 通常、神社は高いところにあるので、参道は行きが上りで、帰りは下りである。

 出雲大社は多くのことが他とはちがう特別な神社である。

 勢溜(せいだまり)の大鳥居をくぐって、一礼をして出雲大社を後にした。

 車で、宍道湖の北に位置する島根半島を東に走り、今日の宿泊地、松江に行く。


  写真 32:発掘当時の宇豆柱(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 33:館内に展示されている宇豆柱(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 34:「千家」家に保存されている「金輪後造営差図」模写(ネット「神話の国出雲・出雲大社」より)

  写真 35:企画展「山陰の黎明」チラシ

  写真 36:国宝・火焔土器〔新潟県笹山遺跡出土〕(企画展「山陰の黎明」チラシより)

  写真 37:縄文時代草創期の土器〔神奈川県花見山遺跡出土〕(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 38:重要美術品・土製仮面〔岩手県大原遺跡出土〕(企画展「山陰の黎明」チラシより)

  写真 39:岩偶〔岩手県袰綿遺跡出土〕(ネット「島根県川本町HP」より)

  写真 40:重要文化財・土製耳飾〔群馬県千網谷戸遺跡出土〕(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 41:鹿角製腰飾り〔岡山県津雲貝塚出土〕(企画展「山陰の黎明」チラシより)

  写真 42:復元された平安時代の出雲大社の模型(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 43:本殿復元模型5種(1/50)(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 44:国宝・荒神谷遺跡出土銅剣群〔島根県荒神谷遺跡出土〕(ネット「国宝めぐり 島根 古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 45:国宝・加茂岩倉遺跡出土銅鐸群〔島根県加茂岩倉遺跡出土〕(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 46:景初三年銘の三角縁神獣鏡〔島根県神原神社古墳出土〕(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 47:弥生時代の土笛〔島根県西川津・タテチョウ遺跡出土〕(ネット「島根県立古代出雲歴史博物館」サイトより)

  写真 48:出雲大社拝殿の巨大しめ縄(パンフレット「旅の友エクスプレス」表紙より)

  写真 49:出雲大社拝殿前の宇豆柱発見場所の実物大の図(館長撮影)

  写真 50:大改修された出雲大社本殿 西側(館長撮影)

  写真 51:出雲大社八足門の拝所(館長撮影)

  写真 52:出雲大社拝殿西側の拝所(館長撮影)

  写真 53:出雲大社神楽殿の巨大しめ縄(館長撮影)


 (訂正追記 2.2記)

 宇豆柱の発見された場所を拝殿前と記したが、誤りである。

 八足門の前が正しい。謝して訂正をする。


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