館長だより 第44号
館長だより 第44号

館長の見聞録(20)

2013/12/16

   ☆ 山陰古代史の旅(その2)

 レンタカーを運転して、出雲地方を西へ向かう。

 ツアーの観光旅行ではなかなか行かない場所を訪ねるので、レンタカーはかかせない。

  (6) 西谷墳墓群(島根県出雲市)

 遺跡の紹介がパンフレット『西谷(にしだに)墳墓群―史跡ガイド―』にある。

 ≪西谷墳墓群は、弥生時代の終わりごろから約500年間にもわたって墓地だっためずらしい遺跡です。
  中でも2・3・4・9号墳は弥生時代に造られた全国最大級の四隅突出型墳丘墓で、
  代々出雲王たちが葬られたと考えられています。
  古墳時代以降も古墳や横穴墓が造られ続けました。≫

 墳墓群は、斐伊川が出雲平野にそそぎこむ西谷の丘陵上にある。

 王家の谷ならぬ、王族の丘陵である。

 四隅突出型墳丘墓が6基、前方後円墳が1〜2基、方墳や円墳が19〜20基、計27基が確認されているという。

 そのほかに、3群の横穴墓群がある。

 それらのほとんどが調査されていないので、わかることは少ない。

 四隅突出型墳丘墓で大型のものは4基ある。(長辺×短辺×高さ)

  2号墓:約46m×約29m×約3.5m
  3号墓:約52m×約42m×約4.5m
  4号墓:約47m×約45m×約3.5m
  9号墓:約62m×約55m×約5m

 調査された3号墓の墳頂部からは8つの墓壙が発見され、墳丘のほぼ中央にある第1と第4は長辺約6m、深さ約1mもある大きなものである。

 埋葬された二重構造の木棺内には大量の水銀朱が敷き詰められている。

 第4埋葬からは鉄剣が、第1埋葬からはガラス製勾玉が発見され、それぞれ男王、女王の埋葬が想像されている。

 西谷墳墓群史跡公園の駐車場から坂をのぼるとすぐ4号墓に行き着き、その先に3号墓がある。

 3号墓の裾部分は葺き石が復元されていて、墳丘にのぼる手すりもある。

 墳頂には、第1、第4の埋葬位置が示され、西側の第4埋葬には巨大な4本柱も造られている。

 規模の大きさがよくわかる。

 両方の墓壙をあわせると儀礼に使われた土器が300個体以上も出土しているので、盛大な葬送儀礼が行なわれたと思われる。

 3号墓の墳丘から、少し下に2号墓がみえる。

 2号墓は裾から墳丘に至る斜面全体に葺き石がほどこされ、裾まわりには2重の石列がある。

 完成された四隅突出型墳丘墓が目の前にある。すばらしさにちょっと興奮。

 墳丘墓内に展示室が造られている。

 展示室ではバーチャルで埋葬されている女王?の姿が浮かび上がる。こちらは幻想的。

  (7) 出雲弥生の森博物館(島根県出雲市)

 西谷墳墓群に隣接して、出雲弥生の森博物館がある。

 ここに墳墓群から出土した遺物が展示されている。

 ≪発掘された「王墓」西谷3号墓を出土品と模型でとことん解明!
  古代出雲が見える、さわれる、実感できる≫と博物館のリーフレットにある。

 二階展示場のメインに、3号墓での葬送儀礼の様子がジオラマで展示されている。

 ≪光り輝く出雲――再現!出雲の王墓≫とカタログの『展示ガイド』にある。

 ≪西側の墓穴に男王が埋められ、それを囲むように太く高い柱が立てられようとしています。
  東側では、続いて女王の埋葬がおこなわれています。
  琴の音とともにおごそかな歌声もきこえてきました。≫

 悲しみをこらえている新王、琴にあわせてしめやかに歌う歌い手、土運びの先導をする親方、
 参列者に拍手、礼をする女人、ちょっと疲れてあくびをする兵士……。

 さまざまな顔が表情豊かに表現されている。

 人間味あふれるジオラマ展示にしばし見入る。

 そういえば、壱岐の一支国博物館もそうだった。

 祈る人、笑う人、語る人、いろいろな場面のそれぞれの気持ちが顔に現れていた。

 近年の博物館のはやりなのかもしれない。

 出土遺物を並べるだけの展示よりも私にはわかりやすく親しみやすい。賛成である。

 ただし、表現された場面が歴史的に誤りであったときの危険はつねにある。

 あくまでも、想像、推定の域を出ない。

 展示品で秀逸は、一対のガラス製勾玉である。径2.4cm

 いままでに例のない珍しい形で、深く青く澄んでいる。

 ほかに、王の鉄剣(3号墓・42cm)、中国産?ガラスの腕輪(2号墓・径7cm)、花仙山産の玉製管玉(田畑遺跡・1.3cm)、石剣(原山遺跡・16.5cm)、朱塗りの木製盾(海上遺跡・44cm)などがある。

 私の取り上げるものは、どうも金目のものばかりで、これでは、お里が知れるといわれそうである。

 そこで、ちょっと興味がわいたものをひとつ、モモの形をした土製品はどうであろう。

 展示品の説明には、弥生時代中期〜古墳時代前期・小山(おやま)遺跡・3.6cmとある。

 奈良・纏向遺跡でモモの種がたくさん出たことでマスコミは大騒ぎをしたが、こちらの報道はどうだろう。

 わざわざ、焼き物でモモを作るということには、大きな意味があると思う。

 たったひとつではあるが、モモ形土製品の価値はとても重要だと私は密かに思っている。

 古墳時代になると、地域や場所に偏りがあるが出雲では円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳、と多種の古墳が造られている。

 『展示ガイド』に紹介されている主な古墳は次の通りである。

  山地古墳 :円墳?・径24m、ボウ製二神二獣鏡・筒形銅器・碧玉製管玉など
  大寺1号墳:前方後円墳・長約52m、勾玉、鉄斧、鉄鍬など
  今市大念寺古墳:前方後円墳・長約92m、金銅製履・金環・大刀・馬鐸・雲珠・鏡板など
  上塩冶築山古墳:円墳・径46m、金銅製冠・銀環・玉類・武器・馬具、など
  中村1号墳:円墳・径約42m、金環、装飾大刀、鉄鏃、杏葉、轡、金銅製鈴、ガラス玉など
  上島古墳 :円墳・径15m、管玉、銀環、五鈴鏡、鈴釧、鉄製刀身、鉄鏃、轡、杏葉など。

 なかでも、中村1号墳は未盗掘で、石室内の様子が復元模型で展示されている。

 飾り付き大刀3本のうち2本は立てられたままの状態で発見され、馬具は3組分もある。

 玄室に埋葬後、前室で追葬が行なわれていたことも確認されている。

 古墳の規模や副葬品の質や量からみて、出雲の有力者の墓と考えられている。

  (8) 出雲弥生の森博物館(島根県出雲市) 
      特別展 「出雲を掘る 第4話 銭(じぇね)―出雲のじぇねこを考古学する―」

 館を訪れたとき、常設展示のほかに企画展示室で特別展が開催されていた。

 「銭(じぇね)―出雲のじぇねこを考古学する―」である。

 出雲地方で発見された古代から近世までの銭を展示している。

 古代の銭では、三田谷T遺跡でみつかった和銅開珎ある。

 和銅開珎は、富本銭が確認されるまでは日本初の銭だったことは知っていたが、漢字4文字銭としては、唐の開元通寳に次ぐ東アジアで二番目の銭とは知らなかった。

 古代の銭で、私が一番興味のあるのは貨泉である。

 貨泉は、新の王莽が西暦14年に発行したもので、後漢の西暦40年に行用禁止されている。

 作られた時期がわかり、使われた期間が短いことが特徴である。

 日本にも貨泉は伝わり、弥生時代の遺跡から出土している。

 ただし、中世の遺跡からも出土している。例えば広島県の草戸千軒町遺跡(鎌倉〜室町時代)である。

 貨泉の出土だけで、その遺跡の時代は決められないということである。

 特別展の展示品のなかに貨泉は展示されているが、参考品となっている。

 出雲の東隣の伯耆では青谷上寺地遺跡からは4枚の貨泉が見つかっているが、出雲では出土がないのかもしれない。

  (9) 荒神谷博物館(島根県出雲市) 
      企画展 「謎?の大型土器登場!!〜弥生時代のコシキ形土器とは〜」

 前項で特別展のことを書いて、荒神谷博物館で開催されていた企画展を思い出した。

 順番が錯綜するが、ここで触れておきたい。

 大型のコシキ形土器を、私は今まで見たことも聞いたこともなかった。

 その土器の名前は、米を蒸す「こしき」に形が似ているのでコシキ形土器と呼ばれている。

 甑として使うには大きすぎるような気がする。

 なんとも大きな土器である。70cm以上のものもあるという。

 この土器の年代は、弥生時代後期から古墳時代前期と考えられている。

 コシキ形土器は、主に島根・鳥取・広島の三県に分布している。

 会場には島根県12点、鳥取県14点、広島県23点の完形品や破片が展示されている。

 地元島根県の出土品では、竹ケ崎遺跡や柳遺跡で見つかったコシキ形土器が展示されている。

 この土器はどちらが上か、下か、その使用方法や用途もわからないという。

 会場に展示品説明がある。

 ≪どちらが上部か?   口が広がる方を下部とする考え。いや、口が狭い方が下部とする考え。どちらも確定的ではありません。
  口の広い方を上にしてひもで下部にある把手をしばって、高所から吊るして使ったという説があります。≫

 なんとも不思議な土器である。

 帰宅後、ネットで調べたら、広島市のトンガ坊城遺跡で住居址内の炉の上に広い方を下にして立った状態で出土した例を知った。

 今後の出土量、出土例によってその用途もだんだんわかってくると思われる。

 それまでは、謎解きに興じるのも考古学の愉しみのひとつである。


  写真 13:パンフレット「西谷墳墓群」の表紙(2号墓と展示室内の埋葬者の映像)

  写真 14:3号墓(館長撮影)

  写真 15:3号墓墳頂の第1埋葬の様子(館長撮影)

  写真 16:3号墓の復元模型(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 17:悲しみをこらえている新王(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 18:琴にあわせておごそかに歌う歌い手(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 19:土運びの先導をする親方(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 20:参列者に拍手礼をする女人(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 21:ちょっと疲れてあくびをする兵士(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 22:3号墓のガラス製勾玉(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 23:3号墓の鉄剣(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 24:2号墓のガラス製腕輪(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 25:原山遺跡出土の石剣(『出雲弥生の森博物館 展示ガイド』より)

  写真 26:小山遺跡出土のモモ形土製品(館長撮影)

  写真 27:パンフレット「銭(じぇね)」展の表紙

  写真 28:貨泉(「銭(じぇね)」展のパンフレットより)

  写真 29:リーフレット「謎の大型土器登場」の表紙

  写真 30:コシキ形土器(館長撮影)

  写真 31:立った状態で出土したコシキ形土器(ネット「トンガ坊城遺跡」より)


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