館長だより 第19号
館長だより 第19号

館長の見聞録(6)

2012/10/28

   ☆ 奈良・大阪の遺跡・博物館 見学記 (その2)

  (2) 黒塚古墳と天理市立黒塚古墳展示館

 黒塚古墳は、天理市柳本町にあり、大和古墳群のなかの柳本支群に属する。

 1997年8月から発掘調査が始められ、その石室から33面の三角縁神獣鏡が発見されたことで有名になった古墳である。

 全長が約132m、後円部の径約72m・高さ11m、前方部長さ約48m・高さ6mであるという。

 現在はコンビニの裏手にある駐車場からすぐのところの柳本公園の一画にある。

 周囲は池に囲まれ、古墳は当初の姿をとどめ、良好である。

 墳丘には登ることができるが、後円部上からでは古墳の全景はわからず、前方部の様子もよくわからなかった。残念。

 後円部中央はきれいに整備され、発掘された石室の位置に原寸大のタイル製石室画が展示されている。

 大きい石室であることが、実感できる。

 その前で参加者一同で記念撮影。


 展示館は古墳に隣接してある。

 館内には発掘された石室がそのまま、実寸大模型で復元展示されている。

 写真で比べるとその出来のよさは、みごとである。

 石室壁面は、下の方に川原石を数段積み、その上は板石を積む。

 板石は上に行くほどせり出し、合掌状に上部を造る。

 実際には壊れていた天井部分のようすが、展示模型では築造時の形で復元されている。よくわかり、ありがたい。

 床面は粘土で造られ、中央がU字形にくぼんでいる。

 そこに割竹形の木棺が納められている。

 棺の中央部は鮮やかな水銀朱が施され、強烈な印象を与える。

 棺の両端の赤はベンガラだという。

 棺のまわりには多数の三角縁神獣鏡が立てられて、副葬されている。

 その迫力に圧倒される。

 この副葬の状態が、三角縁神獣鏡が葬式用鏡であることを明らかにして、、小林行雄氏による大和政権の配布説を否定したと考えられるという。

 わたしもそう思う。

 卑弥呼がもらった鏡が三角縁神獣鏡だとしたら、これほどたくさんあちこちの古墳から出てくるのでは、卑弥呼の手元にはどれほどの鏡が残っているのだろうか。

 魏の皇帝からもらった貴重な鏡を黒塚古墳程度(失礼)の被葬者に20も30もあげていたら、いくつあっても鏡は足りない。

 だいたい、広辞苑にも載っていないような威信財ということばを作り出して、考古学者がおためごかしを言っちゃいけない。

 2階の展示室には出土した全部の鏡がレプリカでずらりと並んでいる。圧巻である。

 なかで存在感を示しているのが、たった一面の画文帯神獣鏡である。

 銘文は「吾作明鏡自有紀□□公宜子」とある。

 木棺内の被葬者の頭部に置かれていたという。

 これぞ、価値ある逸品である。

 鏡のほかに、黒塚古墳の出土品で忘れてはいけないのが、おびただしい量の鉄製品である。

 刀剣類、鉄鏃、槍、甲冑の小札、工具、U字形鉄製品、Y字形鉄製品などである。

 畿内では、弥生時代にはほとんどなかった鉄製品が、古墳時代になるとふんだんに出てくる。

 京都府・椿井大塚古墳でも同様に鉄製品が大量に出土している。

 これは、鉄という物の移動だけでなく、墓に武器、装飾品などを副葬する習慣も移動しているということである。

 文化の移動が見られるのである。

 北九州の弥生文化と畿内の古墳文化との間には連続性がみられ、畿内の弥生文化と畿内の古墳文化は不連続であるという。

 これを、畿内の勢力が西征して、大陸文化の流入拠点を確保したと考えるより、九州勢力が東征して畿内に移ったと考えるほうが、無理がないと思えるが、なんでそこがわからないのだろう。不思議だ。

                                          (つづく)


  写真1:上空より見た黒塚古墳(前方部が西)(奈良県立橿原考古学研究所『黒塚古墳』(学生社・1998)より)

  写真2:黒塚古墳横の石碑(館長撮影)

  写真3:後円部上のタイル製石室画(館長撮影)

  写真4:発掘された当時の石室(前掲の『黒塚古墳』の表紙)

  写真5:遺物出土状況の石室模式図(前掲の『黒塚古墳』より一部加工)

  写真6:石室の復元模型模型(ネット「黒塚古墳資料館」より)

  写真7:棺に立てられて副葬されていた三角縁神獣鏡(前掲の『黒塚古墳』の裏表紙より一部加工)

  写真8:2階展示室に並べられている三角縁神獣鏡(レプリカ)(館長撮影)

  写真9:被葬者の頭部付近に副葬されていた画文帯神獣鏡(前掲の『黒塚古墳』より)

  写真10:石室北小口付近に副葬されていた三角縁盤龍鏡(中央)と4面が重なっている三角縁神獣鏡。右奥に見えるU字形鉄製品(前掲の『黒塚古墳』より)


 (付 記)

  青銅鏡が多数埋納されている古墳 ( )内は三角縁神獣鏡の数

 京都府・椿井大塚古墳……36面以上(33)

 奈良県・佐味田宝塚古墳…36面(15)

 奈良県・黒塚古墳   ……34面(33)

 奈良県・新山古墳   ……34面( 9)

 岡山県・鶴山丸山古墳……31面( 2)

  三角縁神獣鏡が多数埋納されている古墳 ( )内は埋納鏡の総数

 京都府・椿井大塚古墳……33面(36)

 奈良県・黒塚古墳   ……33面(34)

 奈良県・佐味田宝塚古墳…15面(36)

 岡山県・湯迫車塚古墳……11面(13)

 奈良県・桜井茶臼山古墳…10面(17)

 大阪府・紫金山古墳  ……10面(12)


 以上が青銅鏡を多数埋納している古墳の一覧である。

 三角縁神獣鏡関係の本をみれば、この一覧が簡単に見つかると思っていたが、あまかった。

 探し方が悪いのか、一覧はなかった。

 しかも、出土した鏡の数は、どの本もみな同じというわけにはいかず、微妙に異なる。

 例えば、桜井茶臼山古墳、
     あるネットでは(三)6、(他)7、(計)13
     ある本では鏡片は少なくとも17〜19面
     別の本では(三)10、(他)7、(計)17
     最新調査では新たに銅鏡の破片331点が見つかり、(三)26、(他)55、(計)81という。

 一覧作成には、一番詳しい松中由美子氏作成の「日本出土三角縁神獣鏡総表」(王仲殊『三角縁神獣鏡』学生社・1992 収録)を基本とした。

 後は、私が適宜いろいろな本やネットからの情報を取捨選択した。

 桜井茶臼山古墳は、とりあえず旧情報を採用した。

 また、桜井茶臼山古墳の破片ばかりの26面と黒塚古墳の完形品が33面を同列に考えていいものか、という新たな問題も生じた。

 そのため、この一覧が正しいとは確信できない。

 ただ思いのほか、作成に手間取ったので、私としては愛着がある。

 この一覧から、なにを読み取るかは、あなたの自由だ!


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