1986年、佐賀県・脊振山地南麓の丘陵地帯から弥生時代の環濠集落・吉野ケ里遺跡が見つかった。発掘調査が進むにつれて、その詳細が明らかになり、邪馬台国九州説が俄然注目されてくる。
魏志倭人伝に書かれていることが、次々に遺構で目の前に現れたからである。
宮室、楼観、城柵、厳かに設け、常に人有りて兵を持ちて守衛す。
租賦を収む。邸閣有り。国国に市有り。
およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落にすべてが揃っている。
ウィキペディア掲載の写真によると、1:土塁と柵、2:大型建物、3:市、4:倉庫、と説明がある。
1が城柵、2が宮室、3が市、4が邸閣であろうか。
すべてが遺構に基づいて復元されたものである。
吉野ケ里遺跡は、1991年国の特別史跡に指定され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園となっている。
なお、発掘調査は、いまも継続中である。
1997年、世界文化社が『歴史クローズアップ』を創刊する。特集が、「古代発掘最前線 古代が変わる日本が変わる」である。
このなかに、「弥生の争乱を戦い抜いた巨大環濠集落 吉野ケ里遺跡」安本美典 がある。
まず、吉野ケ里遺跡の環濠を取り上げ、各地の環濠集落に説明が及ぶ。
《多大な労力をかけて、長大な環濠をつくったことは、生産物をうばおうとする外敵が多かったことを思わせる。》
その環濠集落が西暦250年前後に、なぜか消滅する。
《以上のような外濠が、卑弥呼が死んだ二四七、八年前後には、消えて行く。なぜだろうか。》
《私(安本)は、国の範囲が大きくなり、環濠集落よりも、もっと大きな単位でまとまりはじめたからであると思う。》
《「租税をとる」ことによって、「国家」は、はじめて、部族国家の域を脱する。》
《「租税」制度をもつ国家は、人々の生活を安定させ、より豊かにする。
人口の自然増も大きくなる。支配地域そのものもひろげうる。
「租税」収入をより大きくし、武力を、すなわち、国家権力を、さらに大きくすることができる。
このようにして、国家権力の拡大再生産が可能となる。》安本先生は、邪馬台国連合の成立、あるいは、倭国の誕生をイメージしている。
最後に、北九州勢力範囲を、鉄鏃分布より推定している。
吉野ケ里遺跡については、ここが邪馬台国とする見方もあり、九州北部にあった複数の「クニ」の一つという考えもある。国名比定も大事であるが、安本先生は、もっと先を見ている。
吉野ケ里遺跡の出現・変遷の先にある強大な国家権力の存在をしっかりと見据えているのである。
この論文は、それを如実に語っている。
写真1:外濠の土塁と柵、逆茂木・乱杭(ネットウィキペディア「吉野ケ里遺跡」より)写真2:北内郭の大型建物(ネットウィキペディア「吉野ケ里遺跡」より)
写真3:市(ネットウィキペディア「吉野ケ里遺跡」より)
写真4:復元された倉庫(ネットウィキペディア「吉野ケ里遺跡」より)
写真5:「歴史クローズアップ」Vol.1号(1997.8・世界文化社)の表紙
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