1997年(H9)10月から11月にかけて、奈良・黒塚古墳から大量の青銅鏡が出土した。画文帯神獣鏡1面と33面の三角縁神獣鏡である。
その調査結果を翌1998年(H10)1月9日に橿原考古学研究所がマスコミに発表した。
発表時の三角縁神獣鏡出土枚数は、32枚。
1月10日の各社新聞に見出しの文字が躍る。
三角縁神獣鏡「大和」で32枚 王権誕生の地で初(朝日)、
三角縁神獣鏡”卑弥呼の鏡”奈良県黒塚古墳から32面 ヤマト政権中心部で初出土(産経)、
三角縁神獣鏡大和で発見 ”卑弥呼の鏡”新たな論争 多すぎる出土枚数計500枚 倭人伝には「100枚」(日経)、
「鏡の道」大和とつながった 空白埋める発見 魏から卑弥呼の都へ(毎日)、
大量の三角縁神獣鏡出土 ヤマト政権中心地で初 魏志倭人伝卑弥呼に下賜 邪馬台国畿内説補強か(読売)。マスコミは、黒塚古墳で邪馬台国問題は決定したような報道を繰り返す。
週刊誌の『サンデー毎日』は臨時増刊号を刊行する。
題して、『卑弥呼の鏡 三角縁神獣鏡』。
もくじに「黒塚古墳が誘う邪馬台国・大和」(佐藤恭孝)、「卑弥呼の鏡ー三角縁神獣鏡は魏の鏡」(岡村秀典)、
「やはり邪馬台国は大和だー女王国が九州にあったとしても」(水野正好)などが並ぶ。その中に孤高を保つ安本論文がある。
「怪気炎に似ている「邪馬台国=畿内説」ー新しい根拠は提出されているの?」(安本美典)である。
安本先生は、他に迎合することなく、読者をミス・リードする報道に警鐘を鳴らす。
「三角縁神獣鏡=魏鏡説」の矛盾を挙げ、「邪馬台国=畿内説」論も否定する。
日本古典をまったく無視する研究者を怒り、黒塚築造時期は4世紀後半と「前方後円墳築造時期推定図」を使い論証する。
《「邪馬台国=畿内説」あるいは「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡説」は、昭和の初期ごろの「大砲」や「飛行機」の遺物を、
百年以上まえの江戸時代のものと認定して大騒ぎをしているようなものである。
学問上の議論が、いつのまにか、ビールの泡とともにあがるオダのような、とりとめのない話になっている。
大本営発表よりも、より確実な「事実」と「論証」を!》
この時点で、三角縁神獣鏡は威信財から葬具になり下がったのではなかろうか。(館長の感想)
安本先生の論旨は、黒塚古墳の出現なんぞでは、揺るぎもしない。
挿図1:『サンデー毎日臨時増刊3月4日号』(1998・毎日新聞社)の表紙挿図2:黒塚古墳の石室全景。『サンデー毎日臨時増刊3月4日号』(1998・毎日新聞社)より
挿図3:安本美典「怪気炎に似ている「邪馬台国=畿内説」」。『サンデー毎日臨時増刊3月4日号』(1998・毎日新聞社)より
挿図4:黒塚古墳の石室内三角縁神獣鏡出土状況。『サンデー毎日臨時増刊3月4日号』(1998・毎日新聞社)より
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