『歴史Eye』の'92-8月号に安本作品が二篇掲載されている。一篇は、「邪馬台国論争は終盤戦に入った」である。
内容は、まず、論争の先駆者・新井白石と本居宣長の大和説と九州説の紹介である。
そして、邪馬台国と大和朝廷の関係についての代表的な10の学説を図表で示す。
<これらの図をみれば、諸説の基本的な骨格に着目するとき、
出るべき説は、ほぼ出そろっていることがわかる。
そして、九州説か大和説かを取ると、約半分が消える。
さらに、大和朝廷の成立を、邪馬台国以前か、以後かを選ぶと、さらに半分の半分が消える。>邪馬台国の位置は、極限にまで絞られる。
邪馬台国論争は終盤戦に入ったという、所以である。
論文とは別に、もう一篇の安本先生製作の「邪馬台国への道早わかりチャート」の図表がある。
実は、この図表見たとき、はて、どこかで見たことがあるぞ、と私は思った。
手元の資料を探したら、『週刊読売』('75.7.5号)にあった。
「あなたが決める邪馬台国はここだ!」である。
内容は同じであるが、こちらのルートは手書き風である。
<ここでは、邪馬臺国論争のおもな論争点を整理し、そのひとつひとつを、
あなた自身によって判断していただく。
そして、あなた自身の足で邪馬臺国への道を歩んでいただこう。>これは、読者への挑戦である。
ここにそのチャート図表を2枚に分けて掲載する。
邪馬台国への行程は、朝鮮半島にある帯方郡からの出発である。
狗邪韓国、対馬国、一支国を経て、末盧国へ向かう。
ここで、一番目の関門・論点Tがある。
末盧と松浦、地名の合致を重視するか、しないか、最初の分かれ道となる。
論点は全部で15ある。その都度、分かれ道の選択がある。
ゴールは畿内大和、筑前博多からジャワ・スマトラまである。
あなた自身の知恵と知識を駆使して、愉しみながら真実の邪馬臺国へたどり着いて頂きたいものである。
挿図上:『歴史Eye』1992年8月号(日本文芸社)の表紙挿図中:邪馬台国への道早わかりチャートの図(右側・出発点)(『歴史Eye』1992年8月号・日本文芸社)
挿図下:邪馬台国への道早わかりチャートの図(左側・到着点)(『歴史Eye』1992年8月号・日本文芸社)
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