館長だより 第116号
館長だより 第116号

安本作品 あれこれ(18)

2018/06/17

   ☆『歴史と旅』で活躍

 『歴史と旅』は1974(S49)年に秋田書店より創刊された月刊の歴史総合雑誌である。

 古代から近代まで幅広い範囲の歴史をわかりやすく読み物的に紹介している。

 ところが、月刊・増刊含めて439冊が刊行されたが2003(H15)年に休刊となっている。

 現在は、大日本印刷(DNP)と共同で電子書籍コンテンツ化を始めているという。

 世の中は、紙から電子版へ確実に移行している。

 それはさておき、掲載誌を紹介する。

 1975.5.1 Vol. 17(2-5) 卑弥呼は誰か 天照大御神 (特集・邪馬台国大論争)

 1976.6.1 Vol. 30(3-6) 邪馬台国はここだ! 甘木 (特集・邪馬台国はここだ!)

 1978.1.1 Vol. 49(5-1) 卑弥呼は天照大御神である (特集・異説!! 日本古代史)

 1983.7.1 Vol.123(10-9) コンピュータで分析 邪馬台国は福岡県・甘木 (特集・古代15王朝の謎)

 1984.8.20 Vol.140(11-11)特別対談 魏志倭人伝の読み方、日本人のここが間違っている 謝銘仁 VS 張明澄、司会/安本美典
              (臨時増刊・東アジアから見た邪馬台国)

  〃     〃  〃  謝銘仁・張明澄氏 対談の司会を終えて(〃)

 1984.8.20 Vol.140(11-11)「倭人伝」と「記紀」の語るもの (臨時増刊・東アジアから見た邪馬台国)

  〃     〃  〃  魏志倭人伝シンポジウム パネル・ディスカッション
              「魏志倭人伝に東アジア国際交流の姿を探る」
              司会/豊田有恒、出席者/榎一雄・安本美典・山尾幸久・奥野正雄(〃)

 1985.1.1 Vol.145(12-1) 倭人連合王国の名手 邪馬台国 (特集・邪馬台国と倭の国ぐに)

 1992.11.5 Vol.284(19-17)卑弥呼は天照大御神である(Vol.49の再録)(臨時増刊・謎と異説の日本史総覧)

 1995.6.1 Vol.332(22-9) 神武東征伝承の再検証 (特集・神武天皇は実在した)

 1996.12  Vol.359(23-18)邪馬台国の基礎データからみる大和説・九州説 (特集・最新情報 邪馬台国は大和だ)


 邪馬台国問題で最大のポイントは、卑弥呼はだれか、邪馬台国はどこか、である。

 この二大課題について、安本先生は繰り返し論証している。

 17号、49号、284号(再録)では人物論について解いている。

 『記紀』にある古代の天皇の平均在位年数から卑弥呼の活躍時期に重なる人物を洗い出し、卑弥呼は天照大御神とする。

 両者の共通点には、ともに女性、ともに宗教的君主、ともに補佐男弟(神)あり、ともに内戦などがある。

 「卑弥呼=天照大御神」とすれば、古代のさまざまな問題が、矛盾なく、統一的に説明できる。

 中国史書だけでは、情報不足で、日本側の資料をあわせ用いることによって情報量が増し、確定できる、という。


 30号、123号、145号、359号では位置論について述べている。

 卑弥呼が天照大御神となれば、天照大御神が活躍していた場所を古事記より検証する。

 古事記の神話に出てくる地名の統計を取ると九州が導き出されてくる。

 天照大御神がいた高天原に「天の安の河」があると書かれている。

 福岡県甘木市(現朝倉市)に夜須町あり、夜須川(旧安川)が流れている。

 甘木市をめぐる北九州の地名と大和郷をめぐる畿内の地名が驚くほど一致する。

 これは九州から畿内への集団移動が想定される。

 神武東征伝承は、このことが反映されているのかもしれない。

 考古学的に弥生時代〜古墳時代に九州の文化が畿内へ移動がみられるという。

 邪馬台国は、福岡県甘木市の近く夜須町付近に存在したと考えられる、と結論される。


 140号は、特別対談とシンポジウムの記録である。

 対談は、安本先生が司会をして、台湾出身の謝銘仁と張明澄氏の両先生に話を聞く。

 テーマは、「魏志倭人伝の読み方、日本人ここがの間違っている」。

 「倭人伝」だけでは邪馬台国の位置はきめられない、「水行十日陸行一月」とはどこからどこまでの距離か、
 邪馬台国への道程には三種類の読み方がある、「会稽東冶の東」にある日本人の読みかたの盲点、などなど。

 興味深い話題が盛りだくさんである。

 最後に、安本先生の「対談の司会を終えて」がある。

 どのような読みかたが、中国文として、とうてい無理なものであり、
 どのような個所において、中国人学者でも、意見のわかれる可能性があるかが、
 この対談でよく示されている、と述べている。


 シンポジウムは「魏志倭人伝に東アジア国際交流の姿を探る!!」である。

 まず、豊田有恒、安本美典、奥野正雄、山尾幸久の4氏の講演がある。

 安本先生は、ここでも「倭人伝」に日本側の情報を加味して、考察すれば邪馬台国の位置は確定すると力説している。

 その後、豊田氏が司会になり、榎一雄氏を加え、パネルディスカッションが行なわれる。


 332号では、安本論文が特集・神武天皇は実在した の巻頭を飾っている。

 科学や学問は、客観的、科学的な検証を行なったさい、どの仮説が成立する可能性がより大きいと判断されるかの問題である。

 『古事記』『日本書紀』などの日本文献、『魏志倭人伝』などの中国文献、それに考古学的諸事実などを整合的、統一的に
 把握することを可能ならしめるのは、「神武天皇は実在した」説である、と結論している。


 359号は、纏向遺跡が注目され、特集に「邪馬台国は大和だ」と組まれているときの本である。

 そのなかで、安本先生は「邪馬台国の基礎データからみる大和説・九州説」を冷静に論じている。

 どちらの説に分があるか、多くの論点から検証する。

 国名の邪馬台国、里数、日数、方向、女王・卑弥呼、年輪と土器による年代論、鏡、矛・刀・絹・鉄。

 8項目にわたって検証・考察を行なうと九州説が有利という結論が出る。

 邪馬台国時代にしぼれば、「倭人伝」に書かれているもので、確実に大和から出土しているものがほとんどない。

 これは、大和説にとって、致命的な点と思われる。


 当館で所蔵している『歴史と旅』は24冊である。

 そのうちの9冊に安本論文が掲載されている。

 24冊中9冊は、かなり活躍されていると、私は思う。


  写真1:『歴史と旅』(1975年5月号・秋田書店)の表紙

  写真2:『歴史と旅』(1976年6月号・秋田書店)の表紙

  写真3:『歴史と旅』(1978年1月号・秋田書店)の表紙

  写真4:『歴史と旅』(1983年7月号・秋田書店)の表紙

  写真5:『歴史と旅』(1984年臨時増刊号・秋田書店)の表紙

  写真6:『歴史と旅』(1985年1月号・秋田書店)の表紙

  写真7:『歴史と旅』(1992年11月号・秋田書店)の表紙

  写真8:『歴史と旅』(1995年6月号・秋田書店)の表紙

  写真9:『歴史と旅』(1996年12月号・秋田書店)の表紙


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