館長だより 第113号
館長だより 第113号

館長のおもいつき(22)

2018/02/04

   ☆ カササギ後日談

 前号のカササギの話で、大失敗をしてしまった。


 先日、「邪馬台国の会」の講演会で安本美典先生にお会いした。

 そこで前号のカササギの話をプリントして、見ていただいた。

 すると先生は、韓国やモンゴルに生息するカササギと中国のカササギは種類が異なるという。

 韓国のカササギは、カラスをひと回り小さくした大きさで、カチガラスともいう。

 中国のカササギは、足の長いサギの仲間で、人によってはアオサギのことだと言っている、とおっしゃる。

 これでは、カササギの話が前提から間違っていることになる。

 同じカササギという名前でも、所によって違う鳥のことを指しているらしい。

 そう言えば、タヌキソバは東京では天かすの載ったソバを言うが、大阪では油揚げが載っている。

 大阪のタヌキソバを東京では、キツネソバという。

 京都はまた違う。もうごちゃごちゃ。

 また、安本先生は講演会の資料にこう書いている。

 〈(日本では)古来、コサギ(小鷺)やアオサギ(青鷺)のことを笠鷺と呼んでいた。
  笠鷺の「笠」を鳥の冠羽を示すものと考えて、冠羽を持つこれらの鳥を笠鷺と呼んだのではないか。〉

 アオサギの写真を見ると、頭に冠を被ったように頭後に飾り羽を伸ばしている。

 このアオサギが大きくてしなやかな翼を広げて幾羽も並ぶと、天の川に掛かる橋に似つかわしい気がする。

 さあて、困った。なさけないのは自分だった。

 サギの頭に笠は、フェイクニュースか?

 津和野の鷺舞の写真をよく見ると、サギの頭の後ろに飾り羽が見える。

 津和野の鷺舞は、この地に伝わってから絶えることなく伝承されてきている。

 そのために、無形文化財にも指定され、鷺舞と言えば津和野を指すほどである。

 津和野のサギは色も形も白鷺に間違いない。

 アオサギの羽の色は灰色で、昔の日本では白でも黒でもない中間的な淡い色を青と呼んだことからきているらしい。

 色的には韓国のカササギ寄りかもしれない。

 ところで、アオサギは日本ではいつ頃から認識されていたのだろうか。

 ネットの解説によると、アオサギという呼び名は古く、奈良時代にはすでに使われていたという。

 ということは、中国のカササギは邪馬台国時代には居なかったかもしれないし、いたかもしれない。

 いなかったとすれば、カササギを知らなかったので、京都では白鷺の頭に笠を載せた。

 京都から伝わった津和野では笠は取りやめ飾り羽で納得したということになる。

 ただし、鷺舞が京都に伝わったのがいつかはわからないが、奈良時代以降ならば、問題が生じる。

 すでに、中国のカササギがアオサギと分かっているのに、白鷲の頭に笠を載せることは、ありえないことになる。

 なんともまとまらないいい加減な話になってしまった。

 

 地元の図書館に出掛けて、参考になるものがないか探してみた。

 菅原浩・柿澤亮三 編著『図説日本鳥名由来辞典』(1993・柏書房)があった。

 〈『源氏物語』浮橋に「山の方は、霞へだてて、寒き洲崎に立てる笠鷺の姿も、
  所からは、いとをかしう見ゆるに」とある笠鷺はアオサギではないかといわれる。
  もしアオサギとするならばアオサギの頭部の長い飾羽を笠とみて、笠鷺と呼んだのであろうか。〉

 ここに新しい所見はないが、日本では、中国のカササギはいなかったが、その存在は知っていたようである。

 その鳥がどんな鳥か思いを巡らすうちに、頭部に飾り羽のある鷺にたどり着き、アオサギなどをカササギと判断するようになったのだろうか。

 中国のカササギの正体がはっきりしなうちはこれ以上、話は進めない。

 どなたか、もう少し詳しい情報をお持ちの方は、是非教えていただけないかなあ。


  写真上:アオサギの写真(ネット「アオサギ写真集」より)
  写真中:白いサギの写真、これはダイサギ(ブログ「ハッピードッグの裏ブログ」より)
  写真下左:津和野・弥栄神社の鷺舞(ネット「津和野live:SCHOOL OF TEMPLE」より))
  写真下右:京都・八坂神社の鷺舞(ネット「祇園祭 鷺舞 八坂神社」より))


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