館長だより 第112号
館長だより 第112号

館長のおもいつき(21)

2018/01/14

   ☆ カササギ雑感

 全邪馬連主催の全国大会で石野博信氏が講演をしている。

 石野氏は、その講演で本題に入る前に韓国旅行でカササギを見たことを話している。

 ”ソウル近郊で鳥がいっぱい飛んでいて、誰かがあれがカササギやというてました。
  魏志倭人伝のなかに、倭には牛や馬とか、カササギもいないとあります。
  なぜ、こんな目立たない鳥を入れたんやろと思いました。
  倭には、魏の使いや郡の使いも来ているし、韓国の人も一緒にたくさん来てたはずです。
  使いの人たちは、倭の状況も調べに来ていたと思います。
  博多の西陣町遺跡からは韓国系の土器が全体の3割ぐらい出ているので、
  韓国の人も多く住んでいたと思います。
  だから、カササギはいないということが書かれたのでしょう。”


 邪馬台国の会でも安本美典氏がカササギについて講演をしている。

 〈『魏志倭人伝』では、牛・馬・虎・豹・羊・鵲などの動物は、倭(日本)にはいないと記されている。
  鵲は、中国や朝鮮では、スズメやカラスと同じようなありふれた鳥である。
  この文章が中国人によって書かれたため、故郷のいたるところで見かける鳥がいないと特記されたのであろう。〉

 ただし現在、日本にカササギはいる。

 安本氏は、実吉達郎氏の『動物から推理する邪馬台国』の記述を引用する。

 〈鵲は豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、鍋島藩が朝鮮から連れ帰り、それが増えて、
  現在、 佐賀県と、長崎県の佐世保付近にいるだけである。
  鵲は留鳥で、住むところから離れない。〉

 更に安本氏は『日本書紀』の記載を挙げる。

 〈― 吉士磐金(きしのいわかね)、新羅より帰りて鵲を献ず。
  吉士磐金は推古五年(597)十一月、新羅王国に派遣され、半年後に帰朝する。
  そして、おそらく新羅の王室からではなく、自分一人の意思で、珍鳥を生けどり、
  女帝か皇女たちのペット用に、献上したのであろう。
  しかし、その後は増えなかったようである。 〉

 次いで安本氏は、カササギにはつぎのように昔の和歌に詠まれていると紹介する。

  大伴家持 「鵲の渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」 (百人一首)
  菅原道真 「彦星の行あいをまつかささぎの 渡せる橋をわれにかさなむ」(新古今集)

 辞書は、「鵲の渡せる橋」について次のように説明している。

  〈陰暦7月7日の夜、牽牛、織女の二星が会うときに、鵲が翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋〉

 カササギ一つで、ここまで話が展開するとは驚きである。奥が深い。


 そこで、あえて言うほどのことでもないがカササギ情報を一つ追加する。

 私は数年前、津和野で鷺舞を見学した。

 鷺舞は津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 毎年祇園祭りの奉納に、笛や太鼓のお囃子と唄に合わせて、雌雄の鷺が舞うのである。

 ♪橋の上におりた 鳥はなん鳥 かわささぎの かわささぎの
  ヤーかわささぎ さぎが橋を渡した さぎが橋を渡した ……

 この歌詞はどうも、「鵲の渡せる橋」のことみたいである。

 解説によると元は室町時代に京都の八坂神社祇園会に伝えられたものという。

 それが京都から山口へ、山口から津和野へと伝えられたという。

 いま、津和野の鷺舞は白い鷺が舞っているが、京都・八坂神社の鷺舞の鷺はちょっと違う。

 白い鷺ではあるが、頭に笠を付けている。

 解説の人の話では、元々はカササギの舞と伝わったが、伝えられた側がカササギを知らなかった。

 多分、鷺の仲間だろうと判断した。それで舞う鳥を白鷺にしたという。

 でもカサが気になり、鷺の頭に笠を載せたらしい。これでカササギ!?

 ほほえましいやら、なさけないやら。

 

 でも、こんなところで、カササギがいなかったことが、証言されているとは面白い。


  写真上:飛んでいるカササギの写真(ネット「動物JP カササギ」より)
  写真中:地上のカササギの写真(ネット「鳥の図鑑 カササギ」より)
  写真下左:津和野弥栄神社の鷺舞(ネット「津和野町観光協会ゆ〜うにしんさい 鷺舞神事」より))
  写真下中:京都八坂神社の鷺舞(ネット「祇園祭 鷺舞 八坂神社」より))
  写真下右:下中図の一部分拡大・赤い笠に注目(ネット「祇園祭 鷺舞 八坂神社」より))


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