館長だより 第100号
館長だより 第100号

安本作品 あれこれ(11)

2017/07/16

   ☆激闘! 安本美典VS古田武彦 その1

 お陰さまで、「館長だより」が100号を迎えた。

 そこで、私がお世話になっている「邪馬台国の会」主宰の安本美典氏の作品紹介の一環として、古田武彦氏との論争を取り上げる。


 安本美典氏と古田武彦氏は、邪馬台国問題に関するいくつもの対談・論争をしている。

 顔を合わせてのときもあり、誌上でのやりとりのときもある。

 それらの対談は、いつも熱気あふれる討論であり、互いの信念をぶつけあう激論である。

 明治期に起きた白鳥庫吉と内藤湖南の論争にも比肩する邪馬台国研究史上に一つの画期をなす大論争である。



 発端は、古田氏の『邪馬台国はなかった』(1971・朝日新聞社)である。(図1)

 専門誌における発表は、1969年の『史学雑誌』78−9号に掲載されている「邪馬壹国」である。

 古田氏はいう。

 現在残されている『三国志』魏志倭人伝には、女王卑弥呼のいた国を「邪馬臺国」と書いているものは一つもない。

 『三国志』の最も古い版本「紹興本」、「紹煕本」には「邪馬壹国」と記されている。

 卑弥呼がいた国は、「邪馬臺国」ではなく、「邪馬壹国」である。

 安本氏は、このとき古田本の書評(1971)を書いている。

 古田氏が実証的根拠をあげて自論を展開する態度にその結論はともかく、”古田氏と私とでは、話しあえる共通の地盤があると感じた”とある。

 その思いが、ただちに破られている。

 古田説に対して、多くの研究者から賛否両論がとなえられる。

 古田氏はただちに反論を雑誌や単行本に発表する。

 古田氏は自論を発展させ、九州王朝をとなえる。

 1973年に『失われた九州王朝』(朝日新聞社)を刊行する。

 対古田論争は拡大する。

 安本氏は、古田氏のいう「論理」じたいがふつうの統計的推論などによる論理とははっきり異質のものである、という。

 古田氏の実証的根拠がいかに一方的な解釈にすぎないかを知り、看過できなくなる。


 安本氏は、『東アジアの古代文化 9号』(1976.7)で論争に参戦する。

 「「邪馬壹国」か「邪馬臺国」か――白崎昭一郎氏と古田武彦氏の論争を読んで」である。

 白崎・古田論争を読んで、古田氏の「統計的調査」にもとづく推論の論理はおかしいと例をあげて、指摘している。

 古田氏は『三国志』内の壹と臺のすべてを調べ、問題の壹与と邪馬壹国以外に誤記が一切ないので、邪馬壹国が正しいとする。

 安本氏は古田式検証法を古田本にある誤記で実践する。

 古田本に書かれている引用文の出典は「呉志八」が正しいのに「呉志三」と書かれている。

 そこで安本氏は古田本にある三と八すべて調べて両文字間に誤記がないことを確認する。

 これで「呉志三」は正しいといえるだろうか。やはり間違いである。

 引用文は「呉志八」に書かれているからである。

 古田氏の「統計的調査」にもとづく推論は根拠にならないと批判をしている。

 それでも古田氏の邪馬壹国・九州王朝は拡張し続ける。


 『東アジアの古代文化 17号』(1978.10)「九州王朝の方法――証言二」で、古田氏は安本批判をしている。

 短里問題である。

 安本氏は、短里が用いられているのは、「烏丸・鮮卑・東夷伝」だけで、三国志全体が短里という古田説は間違いという。

 それに対し古田氏は、いくつかの例を挙げ、魏晋朝期の中国内も短里と主張する。

 例えば、「曹公、精騎五千を将い、これを急追す。一日一夜、行くこと三百余里」をとりあげる。

 安本氏は長里計算ならば、まさに精騎急追した感じとなるという。

 古田氏は、これは戦場での話で、逃げる方は追いつかれないように橋を壊したり、決死の邪魔部隊を置く。

 故に、戦場における行軍距離は例に適さないとして安本事例を否定している。

 古田氏の反論に対して、安本氏が反論する。


 『東アジアの古代文化 20号』(1979.7)「「魏晋朝短里説」は成立しない―古田武彦氏に答える」である。

 安本氏は、古田氏のいう五つの短里例(五証の弁証)をとりあげ、批判する。

 精騎五千も取りあげる。

 三百余里を短里で計算すると、20〜30キロの距離である。

 一時間に4キロ歩くとすれば、6〜8時間である。急げば4〜6時間であろう。

 戦場での行軍距離は障害物云々というが、急追の時間が増えるのはわかるが、距離の三百余里は変わらない。

 馬で一日一夜急追して人が6時間ほど歩いた距離、20〜30キロと同じでは、根本がおかしい。

 安本氏は五証の弁証の崩壊を断言する。


 1979年7月に『季刊邪馬台国』が梓書院から創刊される。

 責任編集長は、作家の野呂邦暢氏である。

 このなかにも古田説に対する賛否両論が掲載されている。

 1980年1月に、安本氏は満を持して『「邪馬壹国」はなかった』(新人物往来社)を刊行する。(図2)

 帯に本書の趣旨がある。

  「邪馬壹国」説は成立しない!!
  11世紀以前、「邪馬壹国」なる国名は存在しない。
  あるのは「邪馬臺(台)国」をさし示す史料のみである。
  いわゆる魏晋朝短里説も、また、成立しない。
  古田武彦説への本格的・徹底的批判の書!!

 単行本まるまる1冊が、一人に対する批判の書とは、すごい本である。

 誌上での論争はまだまだ、つづく。


  図1:古田武彦『「邪馬台国」はなかった』(1971・朝日新聞社)の表紙。

  図2:安本美典『「邪馬壹国」はなかった』(1980・新人物往来社)の表紙。


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