館長だより 第10号
館長だより 第10号

館長のおもいつき(6)

2012/06/17

   ☆ 環濠の土塁は内側か、外側か(その3)

 前号の脱稿後、岡原遺跡の遺跡測量図と土塁の写真を見ることができた。

 小野忠熙氏の『高地性集落論』(学生社・1984)に掲載されている。


 図を見ると、南方向に張り出た台地の北側くびれ部分に直線状に土塁が築かれている様子がよくわかる。

 断面図をみると、土塁は北側に比べ、南側はなだらかに傾斜している。

 写真が、発掘前の土塁の様子である。左側が北である。

 防御施設としては、ちょっと頼りない感じがする。

 土塁に関する記述には、≪現在は自然の侵食と耕作とによって可成り削られている≫とある。

 ≪元は恐らく幅が5m余りで高さが2mに近い障壁をなしていたものと思われる≫とも書いている。

 築造当時はもっと高く、傾斜のきつい土塁を想定しているようである。

 写真には≪右の台地面に住居址がある。西端より撮影≫と説明がある。

 土塁の南側に集落があることになる。

 土塁の築かれている位置に関しては、≪段丘面にある傾斜の微変換線の高い側の上に設けられ、北から見ると集落の一部が隠れるように構築している≫と書かれている。

 図を見ると、この台地面では一番高い38mの等高線上に土塁が築かれていることがわかる。

 調査者は、土塁を防衛を目的とした施設と判断している。

 台地の他の三方は急斜しており、その東辺にV字形の濠がある。

 調査者は≪(溝状遺構は)現在段丘の東縁に沿うて長さ約135m許り確認しているのであるが、この延長は更に南から西に連なって、段丘の縁辺を取り巻いているらしいことが予測できる≫としている。

 地形図上の標高34〜36mに沿って集落を囲む環濠が想像される。

 溝の断面図には土層の様子の記入はなく、大塚遺跡のように排土の流入の状態を判断することができない。


 『高地性集落論』の図と写真によって、岡原遺跡の土塁の様子を詳しく知ることができたことはうれしい。

 しかし、これによって、前号の記事が変わることはない。

 今回はあくまでも、資料の追加報告である。

   


  挿図 上:岡原遺跡の地形と遺構分布図(小野忠熙『高地性集落論』(学生社・1984)に加筆)

  写真 下:岡原遺跡の状遺構(小野忠熙『高地性集落論』(学生社・1984)より)

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